創部67年目で花園全国大会に初出場、「塾高じゃないほうの慶応」志木高ラグビー部が起こした"奇跡"の軌跡

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池袋から東武東上線で約20分、埼玉県志木市に校舎をかまえる慶応志木高校。イチョウの黄色い葉を踏みしめ、自然豊かな敷地を抜けると、広大なグラウンドに出る。そこには、3週間後に迫った全国大会に向けて汗を流す慶応志木フィフティーンの姿があった。

同校の入試偏差値は75(みんなの学校情報)。関東圏のみならず、全国でも指折りの難関校として知られる。厳しい受験を勝ち抜いた生徒が埼玉県内だけでなく東京や千葉からも集い、ほぼ全員が慶応義塾大学へ内部進学する。

慶応志木高校
全国有数の難関校だが、塾高と比べると知名度は高くない(撮影:風間仁一郎)

ただ、同じ慶応の付属高校でも、横浜・日吉の慶応義塾高校に比べて同校の知名度は高くない。

2023年、夏の甲子園で107年ぶりの全国制覇の偉業を達成した「塾高(ジュクコー)」こと慶応高校。その野球をはじめ、ラグビーやテニスでも名門である同校に対し、慶応志木の名がスポーツの分野で全国区になることはほとんどなかった。それだけに、今回の「志木高(シキコー)」の快挙に同校OBはもちろん、多くの慶応関係者も沸き立ち、SNSなどで喜びの声を発信している。

夏場まで封印していた「秘策」

創部は1958年。慶応志木高ラグビー部(正式名称は「蹴球部」)の67年間は、つねに厚い壁に阻まれ続けてきた歴史だ。

慶応志木高ラグビー部の戦績

埼玉県は古くから正智深谷(旧・埼工大深谷)、深谷、熊谷工業など県北部の高校が代表の座を独占してきた。慶応志木もその「県北勢の壁」をなかなか超えられず、ベスト8止まりが続いていた。

風向きが変わったのは13年。県立浦和が54年ぶりの優勝を果たし、「県北勢一強」に待ったをかけたのだ。県内屈指の進学校である同校の躍進を機に、埼玉県内の勢力図は変化。直近の5年では川越東と昌平の私学2校が優勝を分け合っている。

徐々に群雄割拠の様相を呈する中、慶応志木も着実に力をつけ、10年頃からベスト4に名を連ねるように。県北勢をはじめ強豪校に勝つことも増えたが、それでも花園の切符まではあと一歩、二歩のところで涙をのんできた。

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