「20奪三振」"怪物"江川卓が甲子園で本領を発揮した"伝説の試合"の真実

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「おたくは何個三振とられると思いますか?」「怪物」と呼ばれたピッチャー・江川卓の甲子園時代の活躍に迫る ※写真はイメージです(筆者撮影)
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作新学院高校時代に「怪物」と称され注目の的となり、その後法政大学、アメリカ留学、そして世紀のドラフト騒動「空白の一日」を経て、1979年巨人入り。つねに野球界に話題を振りまき、短くも濃密なキャリアを送った江川卓。
その豪快かつ圧倒的なピッチングは人々を虜にするだけでなく、己や共に戦った仲間や対峙したライバルたちの人生までも変えていった。
高校時代の対戦相手から大学時代の同僚、そしてプロ野球の好敵手たちの証言によって構成された、ノンフィクション作家・松永多佳倫氏の著書『怪物 江川卓伝』より、江川卓の足跡を一部抜粋・再編集してお届けする。

長嶋、王よりも作新の江川

1973年3月31日、宇都宮市営球場で“春の日本シリーズ”と謳って巨人対阪急オープン戦が午後1時より開始された。

オープン戦といえども地方での好カードに観客動員も大いに期待されたが客足はさっぱり。

それもそのはず、栃木県民は選抜甲子園二回戦作新対小倉南戦のほうに釘付けだったのだ。長島、王よりも江川なのだ。

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