「20奪三振」"怪物"江川卓が甲子園で本領を発揮した"伝説の試合"の真実
北陽戦での衝撃的な快投に日本中の注目の的となった江川卓。高校野球史のなかでも歴代1、2位を争う怪物投手の誕生にTV、新聞、雑誌等の報道陣の熾烈な取材合戦が始まる。そうと決まればメディアは容赦しない。
対戦する小倉南の真田忠夫監督に「おたくは何個三振とられると思いますか?」と遠慮のない質問を浴びせる始末。
甲子園は江川を中心に苛烈に回り始めた。
大会五日目第二試合 作新対小倉南
朝からどんよりした天気にかかわらず観客の出足は好調で、第一試合が始まる頃には一塁側スタンドを除いて入場券はすべて完売。
「大会五日目で入場券完売は、いまだかつてない。これも江川人気のおかげでしょう」大会関係者がホクホク顔で話す。
この時代、試合開始前に関係者通路で向かい合って両チームが待機していた。小倉南ナインは、作新江川の名前に縮こまったのか、蛇に睨まれた蛙のように俯いて小さくなっていた。すでに試合前から勝負はついていた。
空振りするごとにお決まりの「うおぉ〜」「すげえ」「おお」観客から賛嘆の声が入り交じる。後半、小倉南はバント戦法に出るが速球に押されことごとくフライになる。江川攻略にはほど遠く、むしろ助ける形になってしまった。打たれたヒットは二回の内野安打だけで七回までで10奪三振。
八回からは控えのアンダースロー大橋康延が登板し、結局8対0の作新のワンサイドゲームだった。
試合後、小倉南の真田監督は「バントを使ってなんとか江川君を崩そうとしたが、スピードに押されてダメでした。高めに来る球に手を出すなと選手に話したが、みんな引っかかってしまった」(下総新聞 昭和48年3月31日付)とコメントする。



















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