92歳「嫌われた"球界の最長老"」広岡達朗の真実 プロ野球の「洗礼」で目覚めた広岡野球の原点
「レジェンドたち」がずらりと並ぶ読売巨人軍に入団
広岡達朗が読売巨人軍に入団したのは、昭和29年。
戦争が終わってから9年後、戦後の爪痕がまだ残ってはいるが、壊滅状態からの危機は脱し、ようやく混乱期を抜けた感がある頃だ。
当時の巨人は第二期黄金世代と言われ、煌びやかなメンバーばかりが名を揃えていた。
投手陣には、エースの別所毅彦、日本プロ野球初の完全試合達成者である藤本英雄、大友工、中尾碩史。キャッチャーには日系二世の広田順一、ファーストに川上哲治、セカンドに千葉繁、サードに宇野光雄、ショートに平井三郎。そしてレフトに岩本尭、センターに与那嶺要、ライトに南村侑好。さらに、監督には水原茂と、プロ野球黎明期のレジェンドたちがずらりと並ぶ布陣だ。
「六大学野球のスター選手」として鳴り物入りで巨人に入団した広岡だったが、今の時代のように球団をあげて歓迎ムードで迎えられたわけではなかった。
前出のレギュラー陣を見ても一癖も二癖もあるメンツばかり。六大学野球のスターだろうが、もろ手を挙げて歓迎するようなお人好しは一人もいない。
グラウンドに入れば、自分以外はライバル。この生存競争の激しさこそが当時の巨人の強さを支えていた。
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