「東急vs西武」昭和の四季報に刻まれた分岐点 鉄道会社が住宅地や百貨店、ホテルを築いた時代

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一方の西武は、ホテル事業をさらに拡大させていくが、その難しさも記されている。1982年夏号の西武鉄道の項には、「不動産賃貸は新高輪ホテル稼動で増収ながら立上がり負担で部門減益」「赤坂ホテルは58年春完成、58年度賃貸は一〇〇億円大台へ(57年度八五億円)」とある。

(出所)『会社四季報』1982年夏号

新高輪や赤坂に巨大ホテルを建設し、長期的には賃貸(収入)は一〇〇億円大台へというビジョンを持っているものの、短期的には立ち上がり負担で部門減益とあるように、投資負担増加による難しさを伴っていたようだ。

四季報記事に書かれていた東急と西武の計画

会社四季報の記事から、東急が鉄道と住宅地開発(多摩田園都市)を中心とした街づくりを志向していたのに対し、西武は鉄道と観光(プリンスホテルや野球球団)というレジャー・観光開発を軸にしていて、それぞれ異なる分野で開発を推進してきたことが読み取れる。

日本の高度成長期は、製造業の活躍が目立っていたものの、今のライフスタイルにつながる電車通勤やショッピング、観光などの文化的な定番が確立された時期でもあった。四季報記事の中に、両社の壮大な計画と苦闘の跡が垣間見られた。

田中 久貴 東洋経済データ事業局

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たなか ひさたか / Hisataka Tanaka

2013年東洋経済新報社入社。上場企業の財務データの編集やデータベース販売に関わった後、現在は企業調査部で『就職四季報』などの編集を行う。

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