「東急vs西武」昭和の四季報に刻まれた分岐点 鉄道会社が住宅地や百貨店、ホテルを築いた時代

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西武も、レジャーなどの鉄道外の事業をより強化していく。

1972年新春号の西武鉄道の項には「今年八月、プリンスホテル系を分離」との記載がある。

(出所)『会社四季報』1972年新春号

また、1979年新春号では「西武ライオンズ」(出資は国土計画)の本拠地・所沢球場は54年春完成、資金約四三億円、乗客吸引力増に期待」と書かれている。

プリンスホテルの分離、そして西武ライオンズの誕生は、西武の注力しようとしていた分野を示している。特に野球球場(現在でいうベルーナドーム)の建設は野球観戦に訪れる乗客吸引力増が期待されていた。野球観戦で観客を集め、その観客が西武鉄道に乗る。西武の開発計画がわかりやすくみられる事例といえるだろう。

(出所)『会社四季報』1979年新春号

1980年代:バブル経済を前にした開発スタイル

1980年代、両社の「街づくり」は新たな時代に入っていく。

1981年新春号の東京急行電鉄の項には、「今後一〇年間で不動産販売依存脱却。イン事業は五〇店目標で収入三倍増(56年度は佐賀、新潟、高松)。賃貸は二倍増狙う」とある。

(出所)『会社四季報』1981年新春号

東急は、土地を売って利益を得る沿線開発からの脱却を目指した。これは、景気に左右されやすいモデルから、「東急イン」や「賃貸」 といった継続的・安定的な収益源(ストック型ビジネス)へ移行するという戦略の見直しといえるだろう。

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