宗教史に学ぶ「競合分析」と「市場戦略」 宗教市場という「レッドオーシャン」をルターとマーニーはどう戦ったか

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しかし、その足元では深刻な不満が燻っていました。特にドイツは、アルプス山脈の向こう側にあるローマ(教皇庁)から政治的に干渉され、多額の資金を搾取されているという不満が、諸侯や商人たちの間に渦巻いていたのです。

たとえるなら、業績好調な日本法人が、「本社の経営が苦しいから上納金をもっとよこせ」と米国本社から一方的に搾取され、現場が激怒している。そんな状況でした。

「コンプラ違反」の内部告発

ルターは当初、新たな宗派を作るつもりなどありませんでした。彼はカトリック組織に所属する一人の神学者として、組織が販売していた贖宥符(しょくゆうふ)という商品の販売手法に、重大なコンプライアンス違反があるのではないかと純粋な神学的議論を望んだにすぎません。

贖宥符とは、購入すれば「罪が帳消しになる」とされる証書です。しかし当時は、大聖堂の増改築費用や、大司教の借金返済のために、露骨なキャッチコピー「箱の中へ投げ入れられた金がチャリンとなるや否や、魂が煉獄から飛び上がる」と共に販売され、宗教の名を借りたビジネスと化していました。

ルターは、この問題を指摘する『九十五ヶ条の提題』という文書を提示しました。この内部告発が、なぜ歴史的な「大炎上」となったのか。

第1に、前述した「市場の不満(反ローマ感情)」という火薬庫に火を放ったこと。

第2に、当時の「新メディア(活版印刷)」の存在です。

ルターの提題は、またたく間に印刷・複製され、わずか数週間でドイツ中、欧州中に拡散しました。これは、ルターの意図を遥かに超えた「バズ」でした。

この事態を受け、ルターはカトリックの経営陣とも言えるローマ教皇庁から呼び出しを受け、神学者たちとの論争に引きずり込まれます。

「贖宥符はローマ教皇が許可したものだ。それを批判するお前は反逆者だ」。この攻撃に対し、ルターの論点は一商品のコンプラ問題(贖宥符)から、誰が真の決定権者なのかという、組織のガバナンス構造そのものへの問いへとシフトしていきます。

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