大河【べらぼう】松平定信は「まだまだ手ぬるい」?幕府の厳しい言論統制で打ち首獄門にされた人物

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(写真:Rockheimer(ロックハイマー) / PIXTA)
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NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第41回は、松平定信による「出版統制令」について解説する。
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朋誠堂喜三二と恋川春町に続いて処罰された2人

NHK大河ドラマ「べらぼう」で、老中首座の松平定信が「出版規制」に乗り出し、主人公の蔦屋重三郎に立ちはだかっている。ただでさえ、厳しい倹約が求められるなかで、読み物を嗜む楽しみさえ奪われるとなれば、人々のフラストレーションも溜まるばかりだ。

実際のところ、定信はなぜ出版規制に踏み切ったのだろうか。

天明8(1788)年、蔦重は朋誠堂喜三二作の『文武二道万石通』(ぶんぶにどうまんごくとおし)を発刊。翌年の寛政元(1789)年には、恋川春町の『鸚鵡返文武二道』を世に送り出すと、ともに大ヒットとなった。

だが、いずれも松平定信の政策を茶化した内容だったために、問題視されることに。その後、喜三二は主君の命によって執筆活動を中止せざるをえなくなり、春町は幕府の呼び出しに応じず、その数日後に死去している。

2人以外にも処罰された戯作者がいる。上から読んでも下から読んでも同じの「回文」をタイトルにして評判を呼んだ『莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)』。作者の唐来三和(とうらい さんな)は黄表紙『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)』を発表している。

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