人生の極意は「人との距離感を適切にとること」。人間関係の軋轢もハラスメントも、すべては「境界線」の引き方にかかっている

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恥ずかしながら、若いころの私にも似たような失敗をした経験があるが、自分の考えを伝えたいという思いが強ければ強いほど、「その考えはおかしいよ。こう考えるべきだ」というように、自分の考えを他者に押しつけがちだ。

そのくらいならまだいいが、頑丈すぎるバウンダリーを引いてしまうと、人や社会との関わりを避けるようになってしまう可能性もある。いや、実際のところ、そうやって人間関係が破綻するケースは決して少なくないようにも思える。

いわゆるハラスメントの問題にも、バウンダリーが深く絡んでいるようだ。自分と他者との違いを認めず、他者の領域にいいがかりをつけたり、「自分に合わせろ」と強要したりすることは、上司と部下との間ではよくあることかもしれない。だが、そうした行動はハラスメントに直結するわけだ。

しかし上司と部下に限らず、他人同士であるならば互いを認め合うことは大切なのではないだろうか。

自分には守りたい・大切にしたい領域があるように、他者にも守りたい・大切にしたい領域があります。自分の領域に他者を踏み込ませすぎず、自分も他者の領域に踏み込みすぎない。これが、ありのままの自分で社会と適切に関わっていくためにはとても重要なことです。(152ページより)

健全なバウンダリーと不健全なバウンダリー

バウンダリーが健全に機能するかどうかは、「バウンダリーをどう引くか」で決まるのだという(ちなみに前述のとおりバウンダリーは境界線を意味するため、「引く」という表現を用いるようだ)。健全に機能するバウンダリーは柔軟に引かれるが、そうでないバウンダリーは脆弱か固すぎるというのだ。

バウンダリーが柔軟に引かれていると、自分自身を大切にしつつ、他者のことも大切にできる。そのため健全な人間関係を維持できるわけだ。自身のバウンダリーを大切にできる人は、他者の立場に立って考えることもできるだろう。

なお、バウンダリーを柔軟に引くことができていると、次のような行動に表れるという。

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