人生の極意は「人との距離感を適切にとること」。人間関係の軋轢もハラスメントも、すべては「境界線」の引き方にかかっている
いわば自分自身が悩んでいることは、よりよく生きようとする気持ちの表れ。感じている不安や焦燥感、体調不良などは、自分が持つ「生きる力」であり、すなわちそれは、社会のなかで生きていこうとする力が備わっていることを意味するということのようだ。
だが、そうはいっても生きづらさは受け入れ難い。できることなら社会や環境、身近な人間関係などに過剰反応してしまう状態から逃れ、自分らしく生きていきたいものだ。
そこで注目すべきが「バウンダリー」なのだそうだ。社会への過剰反応によって見失った自分を取り戻し、そのままの自分で社会との軽々を再構築していくために重要な意味を持つのだという。
バウンダリーとはなにか?
【役割】互いの存在と安全を確保し、自分も他者も尊重するためのもの
(150ページより)
バウンダリーが守るのは、有形無形を問わず、自分を構成するすべて。たとえば、感情・身体・信念・価値観・思考・思想・尊厳・愛・才能・セクシュアリティ・限界・責任・時間・空間・お金・所有物・資源などが挙げられる。
ここでいう境界線が健全に機能していれば、自分と他者、双方の領域が尊重されるため、自分が守りたいもの、大切にしたいもの(すなわち自分自身)を守ることができるわけだ。
逆にいえば、この境界線が健全に機能していないと、互いの領域に踏み込んだり踏み込まれたりして、適切な距離を保つことができなくなるだろう。また、他者からの影響を受けまいと堅固すぎるバウンダリーを引いてしまうと、孤独や孤立につながってしまう可能性もある。
いうまでもなく、「なにを守りたいか」「なにを大切にしたいか」は人それぞれ異なる。いわば、その違いを守るためにバウンダリーはあるのだ。つまり「自分の領域を守るためのバウンダリー」と、「他者の領域を守るためのバウンダリー」が存在することになる。
バウンダリーがきちんと機能していれば、互いの違いを認め合いながらつながることができる。それこそが健全な人間関係、そして社会のあり方だ。つねにそうであれば理想的だろうが、残念ながらそうはいかない。
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