朝ドラ「ばけばけ」主人公モデル小泉セツはどんな人か 将来を決定づける幼少期の出来事

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また、家を訪ねてきた祈祷師が「この家にたたりがある」と言い出したときには、15歳だった渋沢は相手を質問責めにした。そうして祈祷師のインチキを露呈させると、家から叩き出している。

当時、渋沢の姉は病に苦しんでおり、家族は皆、わらにもすがる気持ちで祈祷に頼ろうとしていた。最も若い渋沢だけが、冷静に事態を見守り、家族が間違った方向に向かうことを阻止している。経営者として極めて合理的な渋沢の判断力が、このときにすでに垣間見られた。

倒幕を果たした大久保と西郷の幼少期

渋沢と同時代を生きて、大蔵省では対立する薩摩藩の大久保利通にも、いかにも彼らしいエピソードがある。

桜島にある古里温泉を訪れたときのことだ。案内人が「桜島では、山で溶岩石を投げると神罰が下る」と伝えると、大久保はわざと頂上から岩を投げ落とし、みなが驚く姿を見て喜んだというから、なかなか人を食った少年である。神罰を全く恐れなかったことは、合理主義の政治家として名を馳せる、のちの姿を想像させる。

大久保は同郷で3歳年上の西郷隆盛とともに倒幕を成し遂げて、明治維新という大改革を成し遂げた。

西郷の幼少期はといえば、近所から厄介な子どもだと恐れられていた。怒ったときは、烈火のごとくキレまくる。鞘から刀身を少し出して鞘に収めて音を出して、「いつでも斬ってやるぞ」と威嚇するのが常だったという。公衆の面前で相手を投げ飛ばしてしまい、そのことから恨みを買って、のちに襲われて刀傷を負うこともあった。

禅僧の門を叩いて、精神を落ちつけるべく禅を学んだ西郷だったが、年を重ねてからも、局面局面でかつての荒っぽさが顔を出した。

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