これらはすべて、山崎さんがこれまでのカメラマン経験から身に付けた武器だ。さまざまな撮影現場で編集者やディレクターの指示を受けながら、制作側の意図を理解するようになった。また、数々の現場経験から、さまざまな企画のストックを持ってもいる。限られた時間で貪欲に何通りものカットを撮る技術も、20代の頃に経験した現場で磨いたものだ。
がむしゃらに仕事した20代の経験
山崎さんが写真を始めたのは大学生のとき。友人に誘われ軽い気持ちでカメラサークルに入ったのがきっかけだが、在学中に始めたブライダルカメラマンのアルバイトが、卒業後のカメラマンとしての道を切り開いていく。「もともとはカメラマンで食べていくなんてみじんも思っておらず、就職活動はしっかりしました。でも、当時はまさに就職氷河期。受けた会社にことごとく落ちてしまったんです。そこで、しばらくブライダルカメラマンで頑張ってみたいと親を説得しました」。
こうしてスタートしたカメラマンとしてのキャリア。卒業後はブライダルカメラマンを続けながら、さらに技術を学ぶために撮影スタジオに所属するスタジオマン(撮影スタジオのスタッフ)としても働くが、まもなくフリーカメラマンとして独立する。24歳のときだ。仕事の量によって収入が変わるフリーランスは不安定だという見方もあるが、山崎さんはそうした生活をむしろ楽しめるタイプだという。「忙しさと関係なくお給料が一律なほうがやる気が出ないんです」。
独立後は、受注した仕事をがむしゃらにこなしていった。当時はSNSのミクシィが流行していた頃。ミクシィでつながった出版業界の人たちとのオフ会などに参加することで、仕事につなげていったという。
料理、人物、物撮り……。受けた仕事は断らない。深夜まで及ぶような撮影もギャラの額にかかわらず何でもやった。体力的には厳しい面もあったが、楽しかったから続けられたという。撮影の仕事にはさまざまな出会いがある。撮影依頼を受けて初めて行く場所、初めて知る職業に刺激を受け、視野が広がっていくことが楽しかった。この幅広い仕事の経験が現在につながっているのは前述したとおりだ。
順調にキャリアを積んでいった山崎さんだが、30代に入った頃、思わぬ危機に直面する。メディアの廃刊、休刊が続き、仕事が激減したのだ。
ピクスタを知ったのはそんな時期のこと。思い悩んでいたときに知人に勧められ、さっそくのぞいてみた。すると、アマチュアカメラマンがクオリティの高い作品をアップロードしていることに驚かされた。売り上げ上位に並ぶ10人くらいを分析すると、「このくらいの分量を撮影すれば、この金額の売り上げがある」ということが見えてきたという。
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