「日本語を勉強して。それが未来の言語だから」吉本ばななや三島由紀夫を訳した仏人女性。《55年前の大阪万博》の年に開けた数奇な翻訳人生

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ドミニク・パルメ
日本語翻訳家のドミニク・パルメさんと、書斎を気ままに歩き回る愛猫の水(みず)くん(筆者撮影)
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日本文学の翻訳に人生を捧げてきたフランス人女性がいる。吉本ばなな、谷川俊太郎、三島由紀夫……錚々たる顔ぶれの日本作家や詩人の言葉をフランス語へと橋渡ししてきたのはドミニク・パルメさん。

「日本語を勉強して。それが未来の言語だから」

2025年の今から55年前の大阪万博が開催された1970年、母からかけられたこの言葉が、ドミニクさんが日本語翻訳家の道を進むきっかけとなった。ドミニクさんがいかにして日本語と向き合い、「三島由紀夫翻訳の第一人者」としても知られる翻訳者となったのか? その数奇な翻訳人生を追った。

1行の翻訳に数日かけることも

パリ左岸のアパルトマンに、ドミニクさんの仕事部屋はある。本や資料が所狭しと無造作に置かれたこの書斎から、数々の日本文学がフランス語に訳されてきた。

そのデスクの上に、愛猫の水(みず)くんが飛び乗る。「彼はよくこうやって飛び乗るんですよ。翻訳に行き詰まっているときはパワーを分けに来てくれているように感じます」

「1行の翻訳に数日かけることもあります」

と語るドミニクさんは、1986年から日本文学の翻訳家のキャリアをスタート。言葉の端々に文学への愛がほとばしり、1単語、1行の翻訳に深く思考を巡らす。コスパ・タイパという言葉がすっかり浸透した現代、だがドミニクさんにとっての翻訳とは効率の追求ではなく、言葉の海に深く潜り込み、作家の魂と読者をつなぐ営みなのだ。

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