タモリの半生には日本戦後史が詰まっている 糸井重里と近藤正高が語り尽くした!
近藤:天才少女と呼ばれていたころの矢野さんが! 確か通っていた高校(青山学院高等部)が近くですもんね。そういうお店でライブが行われたわけですか。
糸井:うん、秘密裏に。
「暇」があった時代
近藤:たぶんデビュー当時のタモリさんは、そういう秘密ライブみたいなのをあちこちでやってたんでしょうね。
糸井:そうなんでしょうね。タモリさんには、ライブのレポートを書いてからそのあと、あまり間を置かずに会ってるかもしれないです。「書いていただいてありがとうございました」って言われた覚えがあるので。
近藤:ちゃんと読まれてたんですね。
糸井:そうですね。暇だったんでしょう(笑)。この僕のレポートだって400字×3枚ぐらい書いてますよね。今はもうこんな長くは原稿書きませんから。僕自身が暇だったんです。
近藤:あのころ糸井さんは原宿のセントラルアパートに事務所があって、タモリさんも同じアパートの(写真家の)浅井愼平さんのスタジオや『話の特集』の編集室によく出入りしていたそうですね。
糸井:浅井さんが確か6階で、僕は5階だったかな。『話の特集』が9階で。でもタモリさんが浅井さんのところにいるっていうのは、僕はまったく知らなかったです。赤塚さんのところにいたっていうのは知ってましたが。
近藤:赤塚さんとの関係は当時から有名だったんですね。
糸井:そうですね。赤塚さんは確か、唐十郎さんに紅テントもあげてますよね。
近藤:唐さんが状況劇場でテント芝居をするときの。あれも赤塚さんの寄贈なんですか。
糸井:そのあたりの、赤塚さんが当時どれだけ儲かってたかということと、人に何かをあげたり飲み屋でチンチン見せたりすることと、そういうのがみんな合わさって赤塚さんの物語になってるのがすてきですよね。
近藤:とにかくおおらかな時代ですよね。その後赤塚さんは、プロダクションの経理だった人に儲けを持ち逃げされちゃったけど、告訴しなかったという伝説もあります。
糸井:あのころは、そういう感じがとっても楽しかったですね。赤塚さんにしても山下さんにしてもみんな先輩で、僕はその人たちのなかでは「若いやつ」だったんですよね。
近藤:どこへ行っても最年少だったと。