タモリの半生には日本戦後史が詰まっている 糸井重里と近藤正高が語り尽くした!

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糸井:それが1980年になる手前、(四谷の)「ホワイト」という店で飲むようになったあたりから、同世代の(南)伸坊や秋山道男なんかも来てたし、自分がいてもいい場所に落ち着いたというか。それまでは、何か変なやつが先輩たちのまわりをちょろちょろしてるみたいな感じだったと思いますけどね。

近藤正高氏

近藤:同じ時期には、糸井さんは伸坊さんや村松友視さん――村松さんはまだ中央公論の編集者で、作家になる前でしたが――などと「ムラマツ宴会」という集まりにも参加されていたんですよね。そこから、糸井さんがプロレスの本を依頼されたときに、それなら村松さんに書いてもらったほうがいいと推薦したとか(80年刊『私、プロレスの味方です』)、そういうゆるやかなつながりはあの時代ならではという気がします。来る者拒まずで、みんなが出たり入ったりしてる感じとか。

糸井:やっぱり暇だったんでしょうね。

近藤:暇ですか(笑)。

暇という鉱脈には金塊が埋まっている

糸井:「暇という鉱脈」というか(笑)。「金塊が埋まっているのが地表に筋になって見えてるだろ?」みたいな、そういう感じが今はまったくないですね。あのころ、みんな忙しいといえば忙しいはずだったけど、暇なんです、やっぱり。時間で縛られてないんですよね。演奏をやってる人も、演奏と練習以外は暇だったと思うんです。強いていえば、マンガの人は忙しかったんでしょうけど。

近藤:作業量からすれば、そうでしょうね。

糸井:それでも、これは上村一夫さんがそうだったですけど、夜になったら酒飲む時間って決めて、仕事場を抜け出し毎日朝までいましたから。そういう生活をしていてもこなしていけるくらいに暇だったってことですよね。

近藤:余裕があったというか。

糸井:僕らでも1カ月食べていくのに、週に2本ずつコピーを書くのが必要だったとしたら、打ち合わせや考える時間を全部足しても、根を詰めさえすれば、48時間ぐらいで全部できたと思うんです。

近藤:確かに今と比べたら、昔はプロ野球選手にしても、試合が終わったら毎晩必ず飲みに行ってたとかよく聞きますね。

糸井:で、(ベンチの)後ろでタバコ吸いながら、「いやあ、打てないねえ」って言ってましたからね(笑)。ところが今は世の中全体がアスリート化しちゃったというか。プロ野球の試合にしても、一球ごとにサインが変わったりするわけですよね。大変ですよ、それは。「福本(豊)は足が速いね。馬と走らせてみようか」って、本当に馬と走らせてたような時代とはやっぱり違う。人体はそっちに合ってたんだと思うんですけどね。だって、人類はもう10万年単位でそうやって生きてきたわけですから。それがデジタル化しちゃったおかげで、そっちのリズムにみんなが無理やり合わせちゃった。

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