日テレ"敏腕P"がテレビマンを辞めた理由 三枝孝臣氏が描く、未来のメディアの理想像

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日本テレビの黄金時代を支えた三枝氏。独自の視点からテレビ業界の課題と処方箋を指摘してくれた
『THE夜もヒッパレ』『DAISUKI!』『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル』をはじめとしたバラエティ番組や、『平成夫婦茶碗』『東京ワンダーホテル』といったドラマの演出を手掛け、『ZIP!』『スッキリ!!』『シューイチ』など朝の情報番組を局の“看板”に育てた三枝孝臣氏。
1989年に日本テレビ放送網に入社して以来、かかわった番組は約100本。テレビマンとして制作畑を歩み、インターネット事業局を経て今年6月末に退社した三枝氏が考える、テレビ局の現在と未来とは?

「挑戦するなら今しかない」

――26年間のテレビマン時代を振り返って、今、思うことはどんなことですか。

番組約100本、よく作ったなぁと感慨深いですね。初めて企画したバラエティのレギュラー番組が『DAISUKI!』です。私が25歳、中山秀征さん、松本明子さん、飯島直子さんという出演者が20代前半と同年代だったこともあり、若さと勢いがありました。遊ぶ時間がなくて、企画として通れば行きたい場所に行けると考えていましたね(笑)。

憧れの番組『タモリ倶楽部』のイメージで企画したのですが、それほどマニアックではなく、誰もが行ってみたいと思っているような身近なところを取り上げていました。『モヤモヤさまぁ~ず2』や『ぶらぶらサタデー』など、ぶらぶら系バラエティの走りですね。

当時、仕事が休みの日に映画館で列に並んでいると前にいたカップルが「昨日のDAISUKI!見た?」と話し始めました。自分が作った番組が話題にのぼっているのを目の当たりにしてうれしかったのを覚えています。

DAISUKI!は8年間続きましたが、放送・撮影期間が最初から決まっているドラマとは違い、バラエティ番組の終わりは物悲しいものです。毎週会っていた人と会わなくなる切なさ、とでもいうのかな。恋愛関係で例えると、「嫌いになってひどいことになる前に別れよう」という感じでしょうか。

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