しかし、その後、彼らのような人々に分譲するためのデベロッパー(開発業者)が入ってきた。さらに、海外のデベロッパーも殺到した。価格が上がった。ブームになった。「この土地はまだまだ上がる」と思い、海外の投資家が殺到した。デベロッパーは投資家に売るためのホテル、シェアリゾートを開発し、ニセコに来たこともない見たこともない、これからも来ないであろう投資家たちに売りさばいた。こうして、ニセコバブルの終わり、いやニセコ自体の終わりが始まったのである。

「いちばん大事なもの」を簡単に現金化させてはいけない
バブルにより、関わりと愛とが失われたのである。関わりと愛を失ったものが、「金融資産」の定義なのである。物が投資対象となり、それが「金融」資産となったとき、バブルは始まり、その市場価格が上がれば上がるほど、「関わり」と「愛」は失われていき、それが失われた量に比例して、実体経済と社会は悪くなっていく。
その究極が「貨幣」という「匿名」の「金融資産」であるが、どこでも同じ現象が日常的に、毎日進捗しているのであり、ニセコはその典型例だ。
ニセコは社会としてはもう終わりだ。冬になれば美しい雪が一時的にそれを覆い隠してくれるかもしれないが、雪の上でうごめく人々とカネは変化してしまっている。環境破壊と温暖化で、そのうち、その雪も淡雪のように消えていくだろう。
しかし、これはニセコに限ったことではない。観光地で起きていることは、人気のあるところであればあるほど、派手な資産バブルでなくとも同じことが起きているのだ。
ニセコは、社会を失って何を得たのか。土地価格が何十倍にもなった。キャピタルゲインという現金収益である。いちばん大事なものを売って現金にするのは、社会で禁止されている職業に共通している。観光もリゾート開発も、愛とかかわりのないものは、禁止されている職業や行為と同じく、法律で規制するべきである。
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