「ニセコのバブル崩壊」が象徴、「世界に誇るすばらしい日本」の消失があらゆる場所で起きている

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しかし、ニセコひらふで464円のペットのお茶に出会った私は、もともとニセコに来るのは乗り気でなかったが、「やっぱりそれは正しかった、二度とバブルのニセコなんかに来るもんか!」と誓った。そして、この良心的で優れた経営を行っているという評判を信じていたこのコンビニチェーンへの信頼と尊敬は、淡雪よりも早く酷暑の日差しの下に永久に消え去った。

すべての現場で「すばらしい日本の消失」が起きている

そして、それは私だけではなく、健全な精神を持った、目の肥えた世界中の富裕層が、日本に旅行に最近来て感じ始めていることである。「安い日本がなくなった、日本も高くなってしまった、コスパが悪くなったから来ない」というのではない。

「治安が良く、人が良く、人もお店も、ホテルもすべての人、企業、ビジネスモデルが、良心的で、よそ者であっても、一見の客であっても、ぼったくることなどせず、顧客と消費者は、何の警戒も持たずに、リラックスして安心して過ごせた日本は、過去のものになってしまったから」である。すばらしい日本の雰囲気、社会、文化は、消えてしまったのである。

これは観光だけでなく、すべての現場で起きている。三方よし、で商売、事業の持続性、顧客、仕入先、社会全体、すべてとの持続的な関係を構築し、商売も事業も社会も持続することを目的、最優先としてきた日本の美しいビジネスモデルは失われ、どう猛な、目の前の利益を最大化し、株価を最大化し、それをキャピタルゲインとして実現し、キャッシュ化して、次の獲物を狙いに行く、社会、産業、経済、株式市場になってしまったのである。

しかし、このどう猛なマーケットの下での競争においては、もともとの日本文化で長年育ってきた日本の人々、社会は、どう猛さを徹底することができないから、必ず負ける。根を持たず、開拓者精神で新しいマーケットを切り開き続けることが人生、生活モデル、文化的習慣となっている社会を背景に持つ企業や人々には絶対勝てないのである。

突き詰めれば、近代資本主義はバブルであり、それは必然的に行き着く先(論理的合理性に基づけば)なのであるが、そういう大げさなことを言わなくても、日常的に、われわれの周りで、毎日進行している出来事なのである。

ということで、派手な観光が嫌いな私は、今は東北のある都市の、ビジネスホテルのベッドでこの原稿を書いているのである。21世紀の日本が誇る素晴らしいビジネスモデル、ビジネスホテルチェーンに最大級の賛辞をおくりつつ、しかし、少しずつえげつないダイナミックプライシングに侵されつつあるこの業界の将来を危惧しているのである(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースなどを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

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