北は北海道、南は沖縄まで…建設会社の「献血イベント」に1000人以上が集まる理由

献血活動を始めたのは初代の社長です。あるとき、初代の知り合いが病気になり、手術のための血液が必要と言われました。社員や協力業者にお願いして血液を集めようとしたものの、珍しい血液型で合う血がなく、結局手術ができなくて他界されてしまったといいます。
世の中には、血液型が合わなくて亡くなってしまう人がいっぱいいるのだ、と嘆き悲しんだ初代が、献血活動を始めたのは昭和59年のことでした。以来36年間、一度も休まず、この活動は続けられてきました。初年度は176人。
それが3代目の隂山正弘さんの時代になると、なんと1200人以上という献血者が殺到しているのです。初年度から数えると、延べ3万8000人近くの人が献血しているそうです(2020年取材当時)。この献血活動は、社員はもちろん、協力業者の人々の長きにわたる熱心なボランティア活動で運営されていますが、社員や協力業者、その家族だけでは、決してこんな数にはなりません。隂山建設のお客さまや地域の人たちまで、みんなが勇んで駆けつけるから、こんなにも大きな人数になっているのです。
被災地に必ず駆けつける福島ナンバーの車がある
しかし、隂山建設の呼び名は「献血の隂山」だけではありませんでした。もう1つ別の、「災害の隂山」という通称があるのです。
2015年9月、鬼怒川が決壊し、茨城県常総市で大規模な洪水が発生しました。水が引いたあと、泥水にまみれ、全半壊したわが家の前で、住民たちはぼうぜんと立ちつくしていました。
そこに、いの一番で駆けつけたのは、福島ナンバーの車でした。隂山建設の社員が協力業者の職人さんと一緒に、ボランティアにやって来たのです。被災した方々は、プロである彼らの手助けに、どんなに救われたことでしょう。翌2016年、熊本で起きた大地震の際にも、被災地には福島ナンバーの車が駆けつけました。やはり、隂山建設の社員と職人さんたちでした。
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