夢だった北欧移住を叶え3年半、改めて紐解く心地よさの理由。日本の日常にもひとときの"余白"を。「週末北欧部 chika」漫画とエッセー
それは夏。あるとき窓の外から電子音のチャイムのようなメロディが流れてきたので何かと不思議がっていると、友人が「アイスクリーム販売の車だよ」と教えてくれた。
友人は「この音を聞くと大人になった今でも心が躍るんだ」と笑い、私は「静かな街にも日本の石焼き芋のような音があるんだ」と微笑ましく思った。
自然の音やささやかな生活の音色が重なりながらも、街にはいつも「音の余白」がある。その余白は、私の心の余裕にもなっていった。
会話のあいだにある静けさ
もうひとつの発見は「会話のあいだにある静けさ」が自然であること。
沈黙が訪れると「何か話すべきかな……」と考え始めてしまう私とは違い、フィンランド人の友人たちは沈黙を悪いものと考えていないようだった。
景色を眺めたり、コーヒーを口に含んだり、ただ静かに時間を味わう。そんな当たり前のように存在する沈黙は「気まずさではなく心地よい静けさなのかもしれない」と気づいた。
ある友人は「話すことも大切だけど、沈黙はもっと尊いんだ。『会話は銀、沈黙は金』っていうことわざの通りね」と教えてくれた。無理に埋めるのではなく、共に味わう沈黙は、長年の親友や家族といるような安心感を生んでくれた気がする。
夏になると友人たちは1カ月の休暇をとり、さらに静かな森のサマーコテージへ向かう。
電気や水道が整っていないコテージもあり、私が訪れたコテージも水道がなく、飲み水を持ち込み、サウナで湯を沸かして体を洗った。隣のコテージは数キロ先。聞こえるのは白樺の葉の揺れる音と鳥のさえずり、そして自分の呼吸だけだった。
ここで過ごした「音の余白」と「時間の余白」は、忙しない日常で生きる自分のペース整え直し、自分の本来のペースを思い出させてくれた。
こうして経験を重ねるうちに、はじめての旅で心惹かれたフィンランドの「静けさ」は、ただの環境音の少なさではなく、自分自身に耳を澄ますためのプライベートな空間であり、心に生まれる余裕そのものだったのだと感じるようになった。
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