名門校教師が「古文は英語と同じように学ぶな」という真意 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆくやまぎは少し明かりて…」正しい読み方は?

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イメージ(写真:ヨシヒロ / PIXTA)
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今回は、「一度読んだら絶対に忘れない古文の教科書」を上梓した、東大合格者を多く輩出する名門西大和学園で教鞭を執る辻孝宗先生に「古文がつまらないと言われてしまう理由」についてお話しいただきます。

古文の勉強は「文法から」ではなく「読解から」

みなさんにとって「古文の勉強」とは、どのようなイメージでしょうか?
多くの人にとって、それは「難しいもの」「退屈なもの」という印象ではないでしょうか。「古文が、学生時代、一番嫌いな科目だった」という人も少なくありません。では、なぜ古文はそこまで嫌われてしまっているのでしょうか?

その理由を、私は「文法から勉強を始めなければならないから」だと考えています。

例えばみなさんが学生で、古文の参考書を購入したとしましょう。その参考書の多くは決まって「まずは文法から」と書いてあります。「助動詞『けり』の意味と活用は?」「これは未然形?連用形?」といった問題がずらりと並び、ひたすら暗記と活用表の確認が続きます。やっと文法を学び終えても、今度は古文単語を何百語も覚える作業が待っています。さらに本文に入る前に“準備運動”のように品詞分解の練習をさせられて、ようやく文章に向き合えると思ったら……その時にはすでに勉強自体に疲れてしまっている。そんな経験がある人は少なくないはずです。

私自身、長年古文を指導する中で「古文が嫌い」「苦手だ」と感じてしまう生徒をたくさん見てきました。その理由を探ると、多くの場合「古文そのものが難しいから」ではなく、「古文の勉強の途中で、文法の勉強に疲れてしまったから」という結論に至ります。

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