「かつては造船工場があった場所」「世帯数が20年で81→4826まで激増」 豊洲を「タワマンとファミリーの街」に激変させた施設の“正体”

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そして大きなモニュメント。近づくと迫力がある。こちらもよく見ると、「モニュメントクレーン No.2ドッグで使用されていたクレーンをモチーフに製作したモニュメント。」と書かれている。

モニュメントクレーン
「モニュメントクレーン」。圧巻だ(筆者撮影)
モニュメントクレーン
「モニュメントクレーン」の説明が書かれたプレート(筆者撮影)

かつての面影を感じる場所があちこちに

ほかにも「係留ビット 港に船をロープでつなぎ止めておくときの柱として使われていました。スツールとして再利用しました。」と書かれている座れるスペースが複数個所にあったり、「クレーン銘版」があったりと、あらゆるモニュメントが集まっている。

係留ビット スツール
「係留ビット」を生まれ変わらせたスツール。そのサビっぷりは、豊洲という街の歴史を感じさせる(筆者撮影)
クレーン銘版
「クレーン銘版」。かつて、ここで多くの人たちが汗を流して働いた(筆者撮影)

「アーバンドック ららぽーと豊洲 産業遺構」と記載された看板もあった。

これを見ると、「アーバンドック ららぽーと豊洲」を含む豊洲2・3丁目地区に57ものモニュメントが設置されているらしい。

アーバンドックららぽーと豊洲 産業遺構
「アーバンドック ららぽーと豊洲 産業遺構」の看板。「日本の造船産業の発展に大きく貢献してきました」と歴史を伝えている(筆者撮影)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事