「話がわかりにくい」「何が言いたい?」と指摘されてしまう人が克服すべき“3つの勘違い”とは? 言語学者がズバリ解説
ろくにわかってもらえなかった若い頃と、ある程度わかってもらえるようになった今とでは、いったい何が違うのか。もちろん言語学を学んだことも影響していますが、一番大きいのは、自分の勘違いに気づいたことだと思います。
私がしていた勘違いは、大きく分けて三つあります。一つは、「他人の思考や感覚は、自分とだいたい同じだろうと思っていたこと」です。自分と考え方が違う人もいることは認識していましたが、その人たちは異常で、間違っていると思っていました。よって、「まともな人ならば誰だって、私の言うことをわかってくれて当たり前だ」と思っていましたし、わかってもらえないときには勝手に悪意を感じたりもしていました。
しかし当然のことながら、人はそれぞれ、頭の中に自分の世界を持っています。「文化の違い」というのは、必ずしも国や地域の間にのみ起こるものではなく、個人の間にも生じます。一緒に暮らす人たちの間でも、週に何回掃除をすべきか、一日に何をどれだけ食べるべきか、何時に寝て何時に起きるべきかなど、考え方の違いはいくらでもあります。
そして、そういった考え方のほとんどには明確な正解がなく、単純に「正しい」「間違っている」と言えないことばかりです。「わかってもらう」というのはけっして当たり前ではなく、言葉を発する側、受け取る側が互いに歩み寄ろうとする多大な努力の上に成り立つものです。そのことが、若い頃の私にはわからなかったのです。
「自分の安心のため」に言葉を使っていた
二つ目の勘違いは、「他人のために言葉を使っていたつもりが、実は自分のことしか考えていなかったこと」です。これは、ふだん自分がどんなふうに言葉を発しているかを観察していて気づいたことです。私が一日の間に発する言葉の大部分は、「自分がいい気分になるため」、あるいは「自分が安心するため」のものであって、相手にわかってもらうためのものではありませんでした。
たとえば、近くにいる人に雑談を持ちかけるときは、「かまってほしい」とか「相手が自分を気に掛けてくれることを確認したい」といった思いが働いていました。また、そういう思いが強いときほど話の内容は二の次になるので、よく「何が言いたいのかわからない」と言われました。
何人かのグループの中にいるときの自分を観察してみたら、自分の得意分野の話をする機会をうかがったり、何か気の利いたことを言おうとしたり、訊かれてもいないことを教えようとしたりしていました。他の人たちの気を引こうとして、ちょっと大げさなことを言ったりもしていました。
つまり、周囲に対して自分を「有能な人物」「注目すべき人物」として印象づけようとしていたのです。そしてそういう思いが強いときほど、他の人の言うことをきちんと聞いていないため、空気を読まない発言をしたり、余計なことを言ったりしてその場から浮いていました。
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