「話がわかりにくい」「何が言いたい?」と指摘されてしまう人が克服すべき“3つの勘違い”とは? 言語学者がズバリ解説

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目上の人や憧れの人の前では、その人たちに無理に合わせようとしている自分がいました。相手の言うことをきちんと理解できていないのに、なんとなくその場の空気に合わせて「ですよね~」と反応する。理由は単純で、嫌われたくないからです。困ったのは「あなたの考えを聞きたい」と意見を求められたときです。当然、ろくに答えられませんでした。

こんなふうに、私は言葉を使っているとき、頭のリソースの大部分を「自分の安心のため」に使っていて、相手のことはろくに見ていなかったのです。

「ホーム」でしか許されない言葉の使い方もある

自分の安心のために言葉を使うこと自体は、けっして悪いことではありません。とくに、家族や親しい友人といった「身内」の人々にとりとめもない話を聞いてもらうのは、心の健康のために欠かせないことです。しかし、身内の人々とのやりとりの延長で外の人々に接した途端に「わかってもらえない状況」にぶつかります。

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ここで、私の三つ目の勘違いである「身内でしか許されない言葉の使い方を、それ以外の人々の前でもしていたこと」が登場します。私の問題の根源は、「ホーム」での言葉の使い方をそのまま「アウェイ」に適用したことだったのです。

人はまず、幼少期には家族や保護者といった「身内」と言葉を交わし、そこで培った言葉の使い方を利用して他人と接し始めます。多くの人はそこで失敗を経験し、甘えを捨てて「他人との接し方」を身につけていきます。その一方で、大人になっても「身内との接し方」からたいした進展をせず、身内がしてくれるような甘やかしを他人に期待する人もいます。他人に対して「どうしてわかってくれないのか」と苛立っていた私は、まさに後者だったわけです。

今でもついそのような思いに駆られるときがありますが、そんなときは「自分はまだ“子ども”なんだな」と思わざるを得ません。私が思うに、「本当の大人」とは、たとえ身内の人間と接するときでも、必要とあらば「他人に対する接し方」を使えるような人のことです。どんなに身近な相手でも、自分とは違う人間です。お互いの違いを尊重し、状況に応じて敬意と礼儀をもって接することは、親しい間柄でこそ必要なのだと思います。

世の中には、社会的な地位が上がるにつれて周囲の人々を「身内」として取り込み、それに甘える形で自分本位な振る舞いに戻っていく人もいますが、それは「本当の大人になること」とは逆行する行為だと思います。

自分の勘違いに気づき、「そうか、わかってもらえないのが普通なんだ」と思うようになってからは、苛立つことが減りましたし、「どうすればわかってもらえるか」と考える方に頭を使えるようになりました。

川添 愛 言語学者/作家

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かわぞえ・あい / Ai Kawazoe

1973年生まれ。九州大学文学部卒業、同大学大学院にて博士(文学)取得。2008年、津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、12年から16年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。専門は言語学、自然言語処理。現在は作家としても活動している。著書に『白と黒のとびら』『自動人形(オートマトン)の城』『言語学バーリ・トゥード(〈Round 1〉〈Round 2〉)』(以上、東京大学出版会)、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』(朝日出版社)、『コンピュータ、どうやってつくったんですか?』(東京書籍)、『ヒトの言葉 機械の言葉』(角川新書)、『ふだん使いの言語学』(新潮選書)など。

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