こうしたことは、日本語を母語とする子どもたちも同じだと、この本を読んでわかりました。実は日本には「学習言語」をきちんと学べていない子どもが、たくさんいるのですね。
日本では、授業についていける子とついていけない子、という区分けをしますよね。でも優劣ではなく、学習技術が不足しているのだと捉えて適切に補えば、建設的なアプローチができます。
私も慣れ親しんだ学習方法ですが、どうとでも解釈できる文章を読んで、大人が期待するような感想を述べるのが「読解力」であると思い込まされているところが、日本の課題だと思います。学習に不可欠な読解力をつけるために「学習言語」をきちんと学ぶ機会がないのです。
日本語を母語として話す人の間では「日本語は、できて当たり前。誰でも基礎的な日本語は身についている」という思い込みがあるんですね。
じゃあ、日本人は、みんな日本語を十分に理解しているのか? 本書に書かれているように、そうではありません。
日本人の日本語にはかなりのばらつきがあって、「学習言語」に相当する日本語を完璧に理解している人はほとんどいない。でも生活言語では苦労をしないから、「自分は日本語を使いこなしている」と思ってしまう。
同質性が高く、同じ言語を母語とする人が大多数を占める日本社会ならではの死角だと思います。私たちは、大きな誤解の中にいるということが、本書を読んでよくわかりました。
「言語不全」を前提にした言語教育
母語というのは、本人も気づかないうちに話せるようになっていますから、なぜ自分が話せるようになったのか、理由はわかりません。
ところが、外国語を学ぶときは、自分がどの程度できるようになっていて、どこがわからず、どうすれば上達するのかについて、すごく自覚的になりますよね。
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