人類がギャンブルや酒に依存してしまう理由は、人類の祖先の「食べ物探し」という行動にたどることができる

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「人類の祖先は、3カ所、4カ所、あるいは5カ所で十分な食料を見つけられなくても、そこで探索をやめはしませんでした」と、ケンタッキー大学で先駆的な心理学の研究を行ってきたトーマス・ゼントールは説明する。「彼らはひたすら探索を続けたでしょう」。

食べ物を見つけることは、生き延びるための、そして生活をより良くするための、原始的で、もっとも重要な機会だ。もし私たちの祖先が探して探して探しまくらなければ――比喩的に言えば、スロットマシンのハンドルを何度も繰り返し引き続けなければ――人々は飢え、長期にわたって苦しんだ末に死んでいただろう。

食べ物があると思われる場所に足を運んだ(スロットマシンで言うなら、ハンドルを引き、リールが回転し、停止する)としよう。

だが、そこに何もなかったら、人はしかたなく、別の場所に移る(ハンドルを引き、リールが回転し、停止する)。成果なし。次の場所に移る(ハンドルを引き、リールが回転し、停止する)。成果なし。また次の場所に向かう(ハンドルを引き、リールが回転し、停止する……)。

ついに大当たりが発生。たくさんの種類の食べ物がある場所が見つかった(マシンが光り、タガが外れたように、お金を吐き出し始める)。

探索と予測不可能な報酬

探索は予測不可能な報酬によって、まるでスロットマシンでゲームをしているときのように、人々をハラハラさせ続ける。おそらく最終的には食べ物が見つかるだろうとわかっていても、それがいつなのか、どれだけの食べ物が手に入るのかは不明だからだ。

行動工学者のダニエル・サールに言わせれば、「お金を賭けるときや、勝ったかどうかを知るときが、ギャンブルなのではない。ギャンブルとは、カードが配られ、スロットのリールが回り、そしてダイスが投げられているときだ」。

あるいは、私たちの祖先が空腹に耐えながら食べ物を探し求めて歩いていたときこそが、ギャンブルなのだ。

探索中には、ニアミスや、勝ちを装った負けを経験したりもするだろう。勝ちに近づいたのに勝てなかったり、賭けた分より勝てなかったりもするだろう。

仮に、遠くにベリーの茂みを見つけたとしよう。「でも、食べ物が見つかる確率は一定ではない」とゼントールは説明する。

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