人類がギャンブルや酒に依存してしまう理由は、人類の祖先の「食べ物探し」という行動にたどることができる
回復中の麻薬中毒患者を例にとろう。何年間も「クリーン」で過ごしたとしても、かつて薬物を手に入れていた場所の近くにいると気づくや、脳は往々にしてドーパミンを分泌し始める。そして、「クリーン」だったはずの人は薬物が欲しくてたまらなくなる。
だが、欠乏ループがこれほど強力なのは、学習と行動の公式における小さな間隙につけこんでいるからだ。著名な心理学者のB・F・スキナーやゼントールの研究が示しているように、人間を含むすべての動物は、報酬を得られるかどうか確信がもてないとき、どこまでも報酬を求めがちだ。
それはつまり、報酬が予測不可能なときだ。予測不可能であることが強迫性につながり、その行動を迅速に繰り返す可能性ははるかに高くなる。
「報酬を受け取れるかもしれないという期待は、ドーパミンのシステムをはるかに強く刺激します」とゼントールは言う。「ドーパミンの分泌がピークに達するのは、報酬を獲得できるかどうかわからないときです」。
予測不可能な報酬は、私たちをサスペンスの渦に巻き込む。ニアミスや、勝ちを装った負けは、ドーパミンのシステムを煽り立て、すばやい反復を促す。
学習と行動の基本公式には、次のようなわずかなひねりが加えられる。私たちが何かをする。だが、その行動の報酬がいつ、どれだけもたらされるかははっきりわからない。これにより私たちは本当に、本当に、報酬を欲するようになる。そして、何度も何度も、何度も何度も、報酬を得ようと試みるようになる。
確実性は退屈だが、不確実性は私たちを魅了し、幾度でもそれを繰り返させがちだ。
欠乏ループが存在する理由
スロットマシンについて考えてみよう。毎回同じ金額を投じるのは、賢明だ。だが、それではゲームをしても面白くない。それではまるで、仕事だ。本質的にそれは、給与や時給のための行為に近い。私たちが何らかの行為を繰り返せば、雇用主が予測可能な報酬をもたらしてくれるという点において。
欠乏ループは私たち人間を生かし続けるために開発された古代のゲームだ。それは人間に、不確実性に直面してもへこたれず、何度もそれを繰り返すことを強いた。それをやめた者は、死ぬ。
生存が容易になった今日(こんにち)、生きる糧さがしに1日を費やす必要はない。それでも欠乏ループは依然として、私たちの脳をとらえ続けている。
(翻訳:森内薫)
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