――仕事に支えられていたとは?
結果的にそうだったかなと。2005年に主人が亡くなったんですけど、彼の闘病中に私、生まれて初めて仕事を休んだんです。「主人の病状がよくないから、いつまでかわからないけど仕事を休みたい」と申し出て。半年間ほど、主婦業に専念しました。病気によかれと考えて、玄米菜食を徹底的に学んで実践していて。結果的に願いは届かず、彼は亡くなってしまいましたけど。
その後、編集部から「そろそろ仕事に戻れない?」とお声がけいただいて、『美的』の編集部に戻りました。彼が旅立った後はしばらく空っぽになっていたんですけど、仲間に囲まれて仕事に没頭することで、少しずつ自分を取り戻しました。
いったん仕事を離れたことで、自分にとってどれだけ仕事が大切なのかにも気付かされたと思います。
60代、「どう見られてもいい」と思えた瞬間
――冒頭でお話を伺ったように60代でもまた大きな転機が訪れました。
一昨年小学館との契約を卒業して独立しました。そこから、想像以上にいろんなお仕事で声をかけていただくようになって。YouTubeをはじめ、イベントなど表に出てお話しするような機会が増えましたね。
――もともとは表に出るようなお仕事は苦手だとおっしゃっていましたが、今はいかがですか?
今も表舞台に出るようなお仕事が好きなわけではないです。でも、お声がけいただけることはありがたいことですし、この年齢になって、もう何でもアリかなと思えるようになりました。40代、50代の頃なら、きっと「私はこういう人間だし、こういう仕事のスタイルだから出ません」と言っていたけど、60代になった今は、何をしていても自分の軸はぶれないし、他人にどう思われようと構わないかなと。
――そこまで突き抜けられたんですね。
私は、あくまで美容ジャーナリスト。どんなお仕事を引き受けても、これまで積み上げた取材経験や知識や文章力を生かして、皆さんに必要なものや喜ばれるものをお届けできたらなと思っています。
それから、私はチームでお仕事をするのが好きなんです。雑誌もそうでしたけど、みんなで一緒に物作りすると予想以上のものが生まれるし、楽しいですよね。
正直、今もYouTubeの撮影はものすごい熱量が必要ですし、収録のたびに疲弊します。気が重いです。でも、現場に行って、制作チームのメンバーの顔を見て言葉を交わせば、やる気が出る。それから、YouTubeが面白いのは、雑誌以上に、視聴者の反応がダイレクトに返ってくるところです。「天野さんの話を聞いて、スキンケアを見直しました!」とか、コメントが届くたびに、やってよかったと思います。
何歳になっても新しいことに挑戦できることは幸せなことですよね。
――最後に今後のキャリアや目標について聞かせてください。
生きている限りは、できるだけ長く仕事がしたいです。単純に仕事が大好きだからということもありますが、夫は早くに旅立ち、家族や友人など、身近な人もすでにたくさん見送りました。私もいつどうなるか分かりませんが、せっかく与えられた命と時間ですから、先に旅立っ人たちの思いも継いで一生懸命働きたい。
具体的には、また小説を書きたいですね。過去にご縁があって何冊か出版しましたが、時間ができたら、改めて取り組みたいなと思っています。(後編に続く)
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