「奇跡の62歳」として大ブレイク、天野佳代子さんのすごすぎる現在 40歳で美容雑誌の編集者→編集長→68歳でさらに開花

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――これまでのキャリアについて聞かせてください。もともとは漫画家志望だったそうですね。

そうなんです。小さい頃から漫画が大好きで、「漫画家になりたい!」と思っていました。絵を描くのが好きで、夢中でノートにキャラクターを描き続けるような子どもでした。

――本格的に漫画家を目指されたのですか?

高校卒業後、グラフィックデザインの専門学校に進みました。絵の技術を磨いて、漫画家としてデビューしたかったんです。でも、現実はそんなに甘くなくて。周囲にはすでにプロとして活躍している人もいて、漫画家として生計を立てるのは厳しい世界だと実感しました。

――そこで方向転換を?

どうやって生きていこうかと悩んでいた時、当時、お付き合いしていて、後の夫となるミュージシャン、NSPの天野滋の紹介で、ヤマハのプロダクションでアルバイトをすることになったんです。そこでアーティストのファンクラブ会報の編集をするようになって。やはり好きだった音楽の世界にどっぷり浸かってお仕事をしていました。

音楽と芸能の世界からキャリアをスタート

――美容に興味をもたれたのは?

美容はずっと大好きでした。子どもの頃からテレビの音楽番組に映っていた女性歌手のメイクを食い入るように見ていて。天地真理さんや山口百恵さんのメイクをじっくり観察しながら、「私も大人になったらこんなメイクができるのかな」と憧れていました。地元の小さな化粧品店を巡って、サンプルの化粧品を手にイメージを膨らませてみたり。ずっとそんな感じです。

――ファンクラブ会報のお仕事から、どのようなキッカケで美容の世界へと入られたのでしょう?

ファンクラブのお仕事では、会報を作ることが楽しくて。だんだん欲が出てきたんですよね。会報では、いろんな企画を立ててページを作っていたんですけど、私は編集やライターのプロじゃない。次第にもっと本格的に学びたい、プロの編集者のもとで働きたいという気持ちが強くなりました。

その頃、たまたま雑誌『JJ』でライター募集している記事を見つけて応募したら、合格して。そこから雑誌編集の仕事をスタートさせたんです。それが20代前半あたり。

――『JJ』では美容記事を担当されていたのですか?

いえ。美容のページはすでにベテランのライターさんが担当されていたので、私は新人として小さい取材記事のページを細々とこなしていました。美容の企画がやりたいという気持ちは伝えていたんですけど、なかなか機会が巡ってこないまま、数年が過ぎていって……。このままここに居続けるだけでは何も変わらないかなと。雑誌が変化するタイミングで、『JJ』のライターを一度やめてみることにしました。

一方、芸能関係のファンクラブの会報のお仕事はずっと続けていて、ヤマハのみならず、芸映プロダクションという芸能事務所のお仕事も引き受けることに。あの頃は、西城秀樹さんや岩崎宏美さんなどの会報も作っていました。

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