「奇跡の62歳」として大ブレイク、天野佳代子さんのすごすぎる現在 40歳で美容雑誌の編集者→編集長→68歳でさらに開花

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――時代を代表するアーティストの方々に携わってこられたんですね。

音楽や芸能のお仕事もやりがいがありました。後には、CHAGE&ASKAの担当になって、彼らの絶頂期も含めて長らくお仕事させていただきました。

美容ライターになった意外なきっかけ

――芸能・音楽系と雑誌のお仕事の2つの軸があった。

はい。だから、『JJ』を辞めても雑誌は続けていきたいな、美容ページに携わりたいなと思っていたところ、ある日、雑誌『CanCam』の編集者さんからお電話をいただいて。美容ライターとして招き入れていただけることになったんです。

――どんな経緯でお声がけが?

友人の一人がたまたま『CanCam』の編集者さんと仲がよくて。美容ライターを探しているという話を聞いた時に、私のことを思い出して推薦してくれたんです。

――すごいご縁ですね。

そうなんです。当時、28歳でフリーランスとして『CanCam』に入って、そこから美容ライターとしてのキャリアが本格的にスタートしました。ファッション誌ですから、美容の企画は月に1〜2本程度。でも、いろんな角度から美容やメイクのページを企画して形にして、読者の支持もかなり厚かったです。そこで、改めて美容や雑誌編集のお仕事にやりがいを感じて、長く在籍していました。

そのうち、小学館の他の雑誌からもお声がけいただいて、ティーン誌では読者に寄り添った読み物ページを担当したら、それも評判がよくて。文章が面白いから小説を書いてみないかと当時の編集長に言われてなぜか、その雑誌で小説の連載もさせていただきました。高校生の恋愛ストーリーを書いたら多くの読者に支持されて、以来4つの連載をさせていただきました。

――幅広いですね。

楽しかったですし、全ての経験が糧になっていると思います。ただ、実はこの時期、もう1つの軸である音楽業界芸能系のお仕事がすごく忙しくなってしまって。担当していたCHAGE&ASKAが国内外で大ブレイクしたことをきっかけに、事務所から本腰を入れてこちらのチームに入って欲しいと請われたんです。彼らのビジュアル全般のディレクションを任され、アジアツアーなど海外にも帯同して欲しいと望まれて……とっても光栄なことだと思いました。

それが32歳頃ですね。美容編集者のお仕事にもとてもやりがいを感じていましたが、一旦、お休みして、CHAGE&ASKAのお仕事に集中することにしました。

――大きな決断ですが決め手は?

先方に強く求めていただいたのもありますが、彼らとはデビュー当時から関わらせていただいていたし、やりがいのある仕事だと感じたから。私は人生において何か選択する時に、より面白そうな方を選んでしまうタイプなんです。あまり計画性はないかも。その後、10年近くは、CHAGE&ASKAのお仕事に専念していました。

――絶頂期のアーティストを10年間支えられたんですね。

はい。専念する前も含めたら、足掛け20年近く関わっていました。

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