足利のほかに同県の小山、茨城県・水戸、埼玉県・熊谷、東京都・渋谷など、あちこちのクラブに顔を出すようになった。中学生でクラブ通いとは驚くが、現在のペペさんの風貌からすると、失礼ながら「やっぱり」という気もする。
だが、クラブ通いはしていたものの、いわゆる不良ではなく、法律に反することも一切していなかったと断言する。
「お酒も飲まないし、タバコも吸っていませんでした。むしろ、意地でもそういうことはやらないって決めていました。先生に怒られたいとか、イキりたいからクラブに行っていたわけではなく、ただ行きたかったんです。自分が好きなことが、周囲とちょっとずれてるぐらいの感じでした」
クラブで年上の友人たちと交流するのは楽しかったが、そのことが学校で噂になり、同級生との溝はますます深くなってしまった。だがそれをきっかけに、万人に好かれようとするより、自分を理解してくれる人とだけ仲良くできればいい、という考えが強くなっていった。

高校卒業の直前、教師に呼び出され…
このようなペペさんの人格を形成していくのに、両親の存在も大きかった。父親の匡洋(まさひろ)さんは、ペペさんのクラブ通いを「行ってくれば」とあっさり容認。
高校3年生、18歳になったペペさんがタトゥーを入れようと決めたとき、母親は止めるどころか「やるならがっつり入れなさい」とげきを飛ばしたほどだった。
両親以外に、一部の理解者の存在もペペさんを後押しした。
高校を卒業する直前、生徒指導の教師に呼び出され、タトゥーが入っているのか問いただされた。ペペさんを疎ましく思う生徒が、こっそりタトゥーの写真を撮り、退学に追い込もうと先生に送っていたのだ。最悪の事態に追い込まれるのかと覚悟すると、教師は笑顔で言った。
「永湖にはこんなくだらないことで負けてほしくない。だから、タトゥーのこともわかってたけど黙っていたよ、卒業おめでとう!」
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