そんな加一を営む塚越家の長女として、ペペさんは生まれた。子どものころはもちろんタトゥーもピアスもなく、髪も黒色。見た目はごく普通の少女だったが、周囲にあまり馴染めなかったと振り返る。
「空気を読めない子でした。覚えているのが小学生のころ、『クラスのイメージカラーを決めましょう。赤と青どっちがいいか手を挙げて』と先生が言ったんです。ほとんどの子が赤に手を挙げるのに、私は青。周りの子たちには『お前のせいですんなり決まらないじゃん、赤にしろよ……』って言われました。私は青がいいと思っただけなんですけどね」
嫌われるようなことをしていたわけでは決してない。けれど、自分に正直であり続けた結果、疎まれてしまうこともしばしば。クラスでは孤立することも多く、イジメにあった時期も。あるとき、学校に行きたくないと母親に相談すると、あっさり突き放された。
「『周りを悪者にするな。イジメられるほうにもきっと原因がある。悲劇のヒロインぶらないでくれる』って怒られました(笑)。これから大人になるんだから、(周囲のことも意識して考え方を)切り替えられるようになるといいね。がんばってくださいね、って」

中学生の頃から始めたクラブ通い
それでも、性分は急に変えられない。行きたいわけではないのに学校に通わされ、定められた校則に従わないといけない。そんな当たり前に思えることも、当時のペペさんにとってはたまらなく窮屈だった。
早く自由になりたい、と悶々としていた中学3年生のころ、初めて足利市内のクラブに行った。昼間に開催されていたイベントで、子どもでも入店可能という機会に1人で足を運んだのだった。
「足利のキラキラした人たちが集まっていると聞き、気になるから行ってみたんです。そこで4つや5つ年上のお姉ちゃんやお兄ちゃんたちと仲良くなり、今度遊ぼうよって誘われて。夜の時間にも連れていってもらってから、クラブに通うようになりました」
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