《1浪で東大不合格→10年後に東大文3に進学》なぜ再受験を決意したのか 彼を東大受験に駆り立てた未練

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田中さんは1995年、東京都に生まれ、そこから30年間、ずっと東京に住んでいます。

「両親はどちらも専門学校出身で、大学に縁がなかったので、親としては大学に行かせたかったようです。中学受験をして大学の付属校に行ってもらいたいという親の意向があり、小学4年生から日能研に通いはじめました」

早いうちから中学受験することになった田中さんは、小学校の勉強はできるほうだったそうです。「ゆとり教育の時代で教科書が薄かったため、学校の勉強では苦労はしなかった」と彼は語りますが、中学受験では偏差値55程度で、日能研のクラスは5クラスあるうちの3番目と、ちょうど真ん中でした。

親が大学までのルートを早めに確定させたかったこともあり、GMARCH(学習院大、明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の付属校を受けた彼は、第1志望には不合格だったものの、併願で受けた別のGMARCHの付属校に合格し、そちらに進学することを決めます。

しかし、この選択がのちに彼を後悔させることになりました。

大学の付属校に入ったことが後の未練に

進学した大学の付属校では、知り合いが1人もいなかったことからまじめな性格になり、小学生のときはちゃんとやっていなかった宿題もしっかりこなすようになったそうです。

それがきっかけで彼は勉強に目覚め、中学1年生の1学期で学年200人中120位だった成績は、2学期に入ると40位に上がり、それ以降のテストでは高校を卒業するまでずっと5位以内でした。

しかし、勉強にはまった田中さんを苦しめたのは、「大学の付属校に入ったこと」でした。田中さんは、高校受験を経験しなかった自身の選択を後悔し、高校に入ってからは、学校の受験指導の部分でさらに鬱屈した感情を抱くようになりました。

「親は『大金を払って中学受験をしているし、高校受験はするものではない』という感じでした。大学に行けたらいいと。でも、自分の中で高校受験をしたらもっと上の高校にいけたのにな、とフラストレーションがたまり始めたんです。自分で決断できなかったのを、後々ずっと後悔していくことになります」

田中さんの当時の夢は、官僚になること。中学2年生のときに城山三郎の小説『官僚たちの夏』を読んだことで、東大に進学して、キャリア官僚になりたいと思い始めましたが、そのような意識とは裏腹に、歴史の授業などは中学3年生になっても江戸時代までしかやらないような、受験を意識していないカリキュラムだったことが、彼をモヤモヤさせてしまいました。

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