ノーベル賞博士は日帰り温泉オーナーだった 大村智博士が持つ4つの顔
大村氏がこれまでの日本人ノーベル賞受賞者の多くと違うのは、いわゆる知的エリート階級からは縁遠いこと。地方の国立大出身というのも異色だ。
家が山梨の農家で後を継ぐつもりであったため、大学に進学するつもりがなく、中学、高校時代はスポーツに打ち込んだ。県立韮崎高校時代にはスキーのクロスカントリーで国体に出場するほどの腕前だった。大学は地元の山梨大に進び、外国留学も30代半ばになってから実現している。
高校3年の春、父親から大学に進学してもよいと言われ、そのときに初めて大学進学を意識したという。代々の農家であった父親は子どもに英語の重要性を説いていたというが、大村家が知的な環境に恵まれていたわけではない。
大村氏が北里研究所に採用されたときの肩書きは、「技術補」。実験の助手やデータ集めだけでなく、北里の研究所員は北里大学の講義も担当するため、上司の研究員が授業をする際の黒板の板書消しも仕事の一部であった。だが、実験と論文で実績を示した大村氏は数年で助教授に昇進し、その後に米国留学を果たす。それが大きな転機となった。
1971年、36歳のとき、米国ウエスレーヤン大でマックス・ティシュラー教授の下に留学。教授は米・化学学界の有力者で、世界的企業メルク社の元研究所長だったことから、メルク社を紹介され、それが縁で大村氏も世界レベルでの産学ネットワークと接点を持つことになる。これがイベルメクチンの開発にもつながることになった。
ふるさとに温泉施設
大村氏のユニークな点でほかのメディアであまり報道されていないことがある。美術愛好家であり収集家である大村氏は、ふるさとに私費で韮崎大村美術館を建設し、収蔵品をすべて韮崎市に寄贈している。このことは地元でもよく知られているが、それだけでなく、美術館の横に建つ日帰り温泉施設のオーナーでもあるのだ。
その温泉施設「武田乃郷 白山温泉」は、「この辺は必ず掘れば温泉が出る。温泉があれば地域の人も観光客も来てくれる」との大村氏の狙いによって建設された。研究者として功成り名を遂げていた10年前、こんな着想をするところが実に面白い。
今年8月に記者が大村氏にお目にかかったときに尋ねたところ、「それほど儲かっているわけではないが、お客さんはそれなりに来て下さっているので、資金は回転している」とのことだ。「掛け流しで、露天風呂からは八ヶ岳、茅ヶ岳が眺望できる。何より、お湯自体がすばらしい」とはご本人のアピールの弁。これから甲州路は紅葉がすばらしい。美術館と温泉をセットにして大村氏を育んだ土地を訪ねるのも一興かもしれない。
(撮影:尾形文繁)
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