"子煩悩な親"が知らないうちに「毒親」へ変貌する恐怖のメカニズム、《無自覚に子どもを支配しない》ために大切なこと

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優しいお父さん・お母さんがいつの間にか、子どもを虐待する毒親へと変貌する。それは一部のおかしな家庭に限ったことではありません(写真:mits/PIXTA)
どんな親も、多かれ少なかれ、わが子には期待をする。しかし、ある瞬間に親の期待は暴力へと変わる――。約30年、日本の家族問題を見つめ続けてきた精神科医の斉藤学氏は、「条件付きの愛」が子どもの心を傷つけると指摘します。無意識に、子を虐待しないためにはどうすべきなのでしょうか。斉藤氏の新著『インナーマザー あなたを責めつづける心の中の「お母さん」を手放す』から一部を抜粋・再編集のうえ、家庭内に潜む虐待の落とし穴について解説します。

ごく普通の家庭で起こる「行きすぎた躾」

子どもの虐待は、特別な家庭での出来事ではありません。「子どもを虐待するような親は、例外的な親だろう」「そんなのは、ごく一部の“おかしい”人たちがすることだ」という声もよく聞きます。

けれども、親が子どもを「体罰」や「躾」という名目で殴ることなどは、どこの家庭でも当たり前に行われているのではないでしょうか。

その「体罰」は、おうおうにして親の都合によるもので、子どもが親の思いどおりにならないことで、腹立ちまぎれに思わず手をあげていることが多い。おねしょをしたから、バイオリンやピアノが上手に弾けないから、算数のテストの点数が悪かったから、食べものを床にぼろぼろこぼすから、といって子どもを殴る親は、子どもをエゴイスティックに扱っているだけではないでしょうか。

子どもは、親のお人形やロボットではありません。親の思いどおりにバイオリンが弾けなかったからといって、子どもを殴る権利などありません。

とくに幼い子どもは、親に依存しなければ生きていけませんから、親に殴られれば、必死になって殴られないように、親の気に入るように努力します。殴られたのは「自分が悪かった」からであり、自分がもっと努力して親の望みどおりの「良い子」になれば殴られない、見捨てられない、好きになってもらえる、と思うのです。子どもは親に愛されなければ生きていけないからです。

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