「子どもの才能を無力化する」ダメな親の接し方 「信じていない」というメッセージになっているかも
「無限にYouTubeを観続け、宿題をせず、遅刻を繰り返す子になってしまうのではないか?」
そう思ってしまうのも当然でしょう。ですが、そうなってはもう止められません。我が子に対し、指示・命令・禁止を繰り返す毎日になってしまうのです。
でも、本当にそれでいいのでしょうか。
部下を「子ども扱い」する上司たち
ビジネスの世界でも、部下を「子ども扱い」する上司はたくさんいます。
「遅刻を繰り返すと信頼をなくすぞ」
「納期遅れ起こすな」
「お客様の前であくびはするな」
「ニュースを読め」
「もっと考えろ」
「やる気を見せてくれ」
このような声かけをする人は、昭和の時代なら「なんて面倒見のよい、愛情深い上司なんだ」と重宝される可能性さえありました。ですが今の時代は、このように細かくうるさい上司は好まれなくなっています。
皆さんはどう思いますか。親のように愛情深くていい上司だと思いますか?
組織開発を専門とする私も、部下のことを親のように愛情を持つこと自体はとても素晴らしいことだと思います。
ですが問題は、部下を「子ども扱い」してしまっていることです。
上記のような言い方を、例えば、相手がお客様だったらするでしょうか? もしも自分と部下が、人間として対等な大人だとしたら、どういう言い方になるでしょうか?
さっきの声かけを例にして、ちょっと変えてみましょう。
「今月は3回目の遅刻です。何か私が改善の力になれることはありませんか?」
「納期遅れが起きてしまいましたね。どうやって改善しましょうか?」
「お客様の前であくびをしていることに気付いていらっしゃいますか? お客様からはどう見えるでしょうね。私はできるならやめた方がいいと思いますが、いかがですか?」
「ニュースを読んで仕事に活かせることが多いと私は感じているのですが、ニュースを読むことを習慣化してみませんか?」
「この問題は、どう考えたらいいでしょうか?」
「お仕事のやる気に満ちあふれていますか? もっとやる気がでる方法はありますか? 何か私が力になれることはありますか?」
さあ、どうでしょうか。
大げさに表現してみたので、嫌味っぽく感じられたり、めんどくさいと思ったりした人がいるかもしれませんね。
とはいえ、言い換え前の声かけとは異なり、相手の立場への配慮が存在しています。そう、「子ども扱い」と「大人扱い」の大きな違いは、いわば「信頼」なのです。