勤務はワンオペの1日12時間勤務が当たり前。トイレ休憩もままならない中、2週間連続で出勤したこともあるという。時間外割増が付かないうえ、夜10時以降はただ働きという法令違反が常態化していたので、くたくたになるまで働いても月給は20万円に届かなかった。木箱どころか、地面に掘られた穴底からのスタートである。
さすがに数年で退職。しかし、その後も職場には恵まれなかった。アルバイトで雇用された後に正社員登用されるものの、月給が20万円を超えることはない。一方で上司からのパワハラでメンタル不調に陥ったことも。その後はしばらく仕事に就くことができず、税金を滞納した。
ユウタさんは転職を重ねる中でも、知識や経験を生かすため輸入雑貨や古着を扱う店舗で働く期間が長かったという。あくまでもユウタさんの印象だが「同僚は体育会気質の人が多かったです」。休日申請や定時退社をすると、先輩社員からよく「雑貨が好きで働いてるんだから、もっとがんばれんだろ」「みんなは残業するけど、お前は帰るの?」などと詰められた。「今思えば典型的な“やりがい搾取”でした」とユウタさんは振り返る。
穴底からのスタートを強いられ地面にすら立てない――。国によるとそうした就職氷河期世代は約100万人に上る。国は2019年、専用の相談窓口を設けるなどの支援プログラムをスタートさせた。公正な支援を試みたわけだが、遅きに失した感は否めず、現在もそれぞれのニーズにあった木箱が行き渡ったとはいいがたい。
コロナ禍で受けられなかった支援
一方、ユウタさんはこうした国の支援よりも前の2010年代なかばに独立を思い立つ。
しかし、起業はスタートからつまずいた。日本政策金融公庫から融資を受けようと考えたが、税金の滞納状態が続いていたことから審査に落ちてしまったのだという。本当は実店舗を持ちたかったが、自己資金だけでは難しかった。やむを得ずオンラインショップや、フリーマーケットや百貨店への出店などでコツコツと販路を広げた。
ユウタさんは「融資を断られたのは痛かったです。そのせいで足踏み状態を強いられました」という。このときユウタさんが切実に求めた木箱は公庫からの支援だった。ただ金融機関が融資先の信用力を慎重に判断するのは当然のことでもある。どこまでが公正な支援なのか。その見極めはときに難しい。
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