百貨店「華やかなりし20世紀」と現在の残酷な明暗 お歳暮や屋上遊園地など多くの文化で賑わったが…

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バブル後の「失われた30年」はデパート業界にもボディブローのようにじわじわと痛手を与え、消費スタイルの変化もあり、2000年代前後には都内百貨店の閉店が相次ぐ。

そごうは2000年に経営破綻し、同年、有楽町そごうは閉店。その店舗跡は翌年ビックカメラ有楽町店となった。

有楽町そごう
「閉店売りつくし」の垂れ幕を掲げる有楽町そごう。現在はビックカメラ有楽町店(写真:2000年8月29日、尾形文繁撮影)

その前年1999年には、東急百貨店の日本橋店が閉店。この店は、江戸初期創業の老舗「白木屋」と合併して、1967年に東急百貨店日本橋店となった店だった。

日本橋は、江戸以来の伝統的な商業地としてのブランド力を発揮してきたエリアだったが、昭和を経て平成期になると、時代の変化もあり求心力が著しく低下していた。その東急日本橋店跡地は、オフィスと商業の複合ビル「コレド日本橋」に再開発。その周辺でも、日本橋の上に架かる首都高速道路の地下化や、高度経済成長期築のビルの建て替えなどが進んでいる。

東急百貨店日本橋店(写真:1991年5月13日、本橋英明撮影)
東急百貨店日本橋店
東急百貨店日本橋店の閉店後、閑散としたようすのビル(写真:1999年4月、東洋経済写真部撮影)
写真左の建物が東急百貨店日本橋店跡地にたったコレド日本橋。中央通り奥には日本橋高島屋が見える(写真:東洋経済編集部撮影)

生き残ったデパートたちは…

一方で、日本橋の三越、髙島屋は現在も日本を代表する老舗デパートとしての威力を発揮しているが、三越は2011年に伊勢丹と合併。2018年には経営統合している。

その三越、伊勢丹、髙島屋の各デパートは昭和戦前築の店舗建物で老舗としてのブランド力をアピール。三越、髙島屋の建物は国の重要文化財にも指定、伊勢丹は東京都の歴史的建造物に選定されている。

新宿伊勢丹、銀座三越では、インバウンド客の売り上げも好調だ。現在、都内の百貨店ではどこも外国人観光客が上客であり、彼らが目指す人気商品の品揃えや免税などのサービスにも力を入れている。そうした外国人客の姿を多く見かけるようになったことも近年の百貨店における変化だと言えよう。

日本橋三越本店
日本橋三越本店(写真:1978年12月13日、東洋経済写真部撮影)
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