百貨店「華やかなりし20世紀」と現在の残酷な明暗 お歳暮や屋上遊園地など多くの文化で賑わったが…

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日本橋三越   天女像
日本橋三越の天女像(写真:1984年、東洋経済写真部撮影)
歳末商戦で賑わうデパートの売り場(写真:1987年、吉野純治撮影)

1971年7月、銀座4丁目に面した銀座三越には、マクドナルドの日本国内1号店が開店している。日本マクドナルド創業者の藤田田氏の「日本の流行は銀座から全国に広がっていく」という思いのもと、この場所で開店したという。

その戦略は見事に当たり、銀座の歩行者天国でのハンバーガー立ち食いは全国から注目されるトレンドになり、大いなる宣伝効果をもたらした。

また、それまで日本人が特に親しんでいたわけでもない、いわば“海のものとも山のものとも知れないハンバーガーというファストフードを、三越という老舗デパートの銀座店で販売したことにも大きな意味があった。

昭和の時代、「デパートで販売されているものは高級品」というのが一般市民の間の共通認識だった。

そして現在でも都内でデパートが立地するのは駅前や繁華街などの一等地。その路面に今はどんな店が入居しているかを検証してみると、ルイ・ヴィトン、シャネル、ティファニー、エルメスなど、海外のラグジュアリーブランドが大勢を占めている。

百貨店は「大きく2つ」に分けられる

日本の百貨店という業態の起源は、呉服店系と鉄道会社系に分かれる。

三越、髙島屋、伊勢丹、松坂屋といった老舗組は呉服店や木綿商を発祥とするが、大正から昭和初期にかけて、渋谷、新宿、池袋など新興の繁華街には、郊外の住宅地とを結ぶ私鉄電車が発着するようになり、そのターミナル駅前には新興の百貨店が進出するようになった。

さらに戦後の高度経済成長期には、関西の老舗百貨店、そごう、大丸が東京に進出。

大丸東京店の店内
大丸東京店の店内(写真:1977年、東洋経済写真部撮影)
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