日本で「バレンタイン=チョコ」が浸透した事情 世界を見渡してもめずらしい状況になっている

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(写真:asaya/PIXTA)
2月14日はバレンタインデーです。日本のバレンタインデーは、昭和時代に定着し、近年は、「チョコレートを通じて愛情や感謝を表す日」へとシフトしつつあります。じつは、世界を見渡してみても、バレンタインがこれほどチョコレートと深く結びついている国は、日本だけです。
そこで本稿では、チョコレートがどのようにして日本で広まったか、そしてバレンタインデーとどのようにして結びついたのかを紹介します(本記事は、市川歩美氏著『味わい深くてためになる 教養としてのチョコレート』から一部抜粋・再構成してお届けします)。

偉人とチョコレートの意外な接点

日本に初めてチョコレートが伝わったことがわかる、最も古い記録は長崎県にあります。

ときは江戸時代。1797年に、遊女がチョコレートを長崎の出島のオランダ人から受け取ったとする記録が残されています。それは、長崎の有名な遊郭街・丸山町の『寄合町諸事書上控帳』で、遊女の貰い品目録に「しょくらあと六つ」と書かれていることからわかります。「しょくらあと」とは、チョコレートのこと。チョコレートを6つ、受け取ったということです。

さらに1867年、パリで開催された万国博覧会に江戸幕府の代表として赴いた、第15代将軍徳川慶喜の弟で水戸藩主の徳川昭武がフランス・シェルブールのホテルでココアを味わった記録も残っています。

つづいて明治時代。かの有名な岩倉使節団も、チョコレートと深い関わりがあります。1873年、岩倉具視を特命全権大使とする使節団が、フランスを訪れました。このとき、使節団はパリ郊外のチョコレート工場を視察し、チョコレートを味わったとされています。

この出来事は『特命全権大使 米欧回覧実記』に記録されています。

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