日本で「バレンタイン=チョコ」が浸透した事情 世界を見渡してもめずらしい状況になっている
使節団が伝えたチョコレート情報をキャッチし、日本で初めてチョコレートを作ったのは、東京の両国若松町にあった菓子店「米津凮月堂」(のち東京凮月堂)の米津松造さんです。
東京凮月堂の社史によると、1878年12月21日の『郵便報知新聞』に「この度、ショコラートを新製せるが、一種の雅味ありと。これも大評判」と書かれたようです。また、同年12月24日付『かなよみ新聞』の広告には、チョコレートが「貯古齢糖」と表記されています。
ただ、今では想像しづらいのですが、当時の日本ではチョコレートを、あやしげな食べ物と見なす人が多かったようです。めずらしいうえにとても高価だったので、購入するのは一部の裕福な人や居留地に住んでいた外国人などに限られていました。
チョコレート産業の先駆は「森永製菓」
そんな日本でチョコレート産業が芽生えたのは、1899年、アメリカで西洋菓子の製菓技術を学んだ森永製菓(以下、森永)の創業者・森永太一郎さんが帰国してからのことです。
森永太一郎さんが作った「森永西洋菓子製造所」(現在の森永製菓)は、いち早くチョコレートクリームを製造して販売し、1909年には、日本初の板チョコレート「1/4ポンド型板チョコレート」を発売しました。
さらに、森永は1918年、日本で初めてカカオ豆からチョコレートの一貫製造をスタートしました。これによって、チョコレートの大量生産が可能になったのです。その後、明治製菓(現在の明治)が森永につづき、1926年にカカオ豆からチョコレートの一貫製造を開始しました。
両社がチョコレートの大量生産を始めたことで、多くの日本人にチョコレートが届くようになり、消費量も次第に増加していったのです。 第2次世界大戦中はチョコレートの製造がストップしたものの、戦後には再開します。
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