日本で「バレンタイン=チョコ」が浸透した事情 世界を見渡してもめずらしい状況になっている

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つづいて1958年、メリーチョコレートカムパニー(メリーチョコレート。以下、メリー)は、東京・新宿にある百貨店「伊勢丹」で初めてバレンタインセールを開きました。ただ、セールといっても、手描きの看板を掲げただけの小さな売り場だったようです。

きっかけは、当時の社員が「パリには2月14日に花やカード、そしてチョコレートを贈るバレンタインデーという習慣がある」と知ったこと。

自社のチョコレートと結びつけて、3日間のセールを行なったものの、売上はわずか170円……。当時はバレンタインデーという習慣自体、ほとんど誰も知らない時代でしたから、無理もない結果だったかもしれません。

しかし、メリーは翌1959年にも、バレンタインセールを実施。その年はハート型のチョコレートに名前を彫って贈るという斬新な企画が注目を集め、前年よりも話題になりました。メリーはこの年に、「年に一度、女性がチョコを贈って愛を伝える日」という習慣を、百貨店を訪れる女性たちに提案したのです。

女性の自立や社会進出とシンクロ

昭和30年代(1955~1964年)に入ると、日本は高度成長期を迎えます。新しい商品が次々と生まれ、チョコレートの人気が高まっていったこの時代に、バレンタインデーのプロモーションに力を入れたのが森永です。

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先ほども触れましたが、森永の功績は、民放ラジオやテレビなどのメディアを活用してチョコレートの魅力を伝えたことです。バレンタインギフトの広告は、1958年に創刊された週刊誌『女性自身』(光文社)をはじめ、新聞や雑誌など多くのメディアに掲載されました。

当時の広告を見ると、今でもワクワクした気持ちになります。バレンタインデーにチョコレートを購入した人だけが応募できるプレゼント企画などがあり、女性たちが夢中になった様子がうかがえます。日本で一部の人しか知らなかったバレンタインデーは、少しずつメジャーな存在になっていきました。

バレンタインデーが日本で知られはじめたのは、女性の自立や社会進出が注目されはじめた時期と重なります。「女性が自分の意思で行動する」ことを前提としたバレンタインデーのコンセプトは、そんな時代の流れにマッチしていました。

時代の機運も、バレンタインの広がりを後押ししたのでしょう。

市川 歩美 チョコレートジャーナリスト/ジャーナリスト

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いちかわ あゆみ / Ayumi Ichikawa

大学卒業後、民間放送局に入社、その後NHKで、長年ディレクターとして番組企画・制作に携わる。現在はチョコレートを主なテーマとするジャーナリストとして、日本国内、カカオ生産地などの各地を取材し、情報サイト、TV、ラジオなど多くのメディアで情報発信をしている。チョコレートの魅力を広く伝えるコーディネーターとしても活動。商品の監修や開発にもかかわる。

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