根本的な問題に触れることを避けた「失敗の本質」
話を『失敗の本質』に戻すと、戸部らは、戦局を変えるほどの大敗北を期した作戦であるにもかかわらず、通常は作戦終了後に開かれる作戦戦訓研究会が開かれなかった事例を引いている。
作戦を指揮した軍の幹部たちは、お互い詮索されることや、責任追及されることを恐れて、根本的な問題に触れることを避けたのである。
「本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、これを行わなかったのは、突っつけば穴だらけであるし、みな十分に反省していることでもあり、その非を十分に認めているので、いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がないと考えたからだった」(吉田俊雄『四人の連合艦隊司令長官』文春文庫)と回顧している。
戸部らは、「ここには対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢の欠如が見られる」と述べている。
また、同書では日本軍の構造的欠陥が戦後、政治やメディア組織に受け継がれたという予見的な記述でしめくくられており、非常に不気味である。
昭和から令和にかけて、フジ・メディア・ホールディングスのグループ人権方針にあるような「人権尊重」「差別・ハラスメントの禁止」が強く求められるようになった。
けれども、前述のように「間柄」が優越すれば、どのような人権侵害も許容され、差別・パワハラも黙認されるという状況が出現しうるのだ。
これが前回取り上げた「企業などの社会組織が『運命共同体』としての性格を帯びること」(中居騒動でフジが露呈「日本的組織」の根深い問題)とともに、硬直したパラダイムの一翼を担っているのである。
フジテレビの激震が民放各局にも走っているはずなのに、妙に及び腰な印象を受けるのは、おそらく叩けばほこりが出るだけでなく、同種の困難を抱えているからなのかもしれない。
先人たちの失敗と教訓といえば他人事に聞こえるが、人物と時代が変わっただけで本質的な課題がDNAのごとく継承されているように見える。他山の石になるのはまだまだ先の話なのかもしれない。
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