内田樹「日本には"お節介な人々"が一定数必要だ」 関東と関西で"おせっかい人口"には差もある
僕の知り合いに、奥田知志さんという牧師がいます。北九州でホームレスの人を支援する抱樸(ほうぼく)というNPO法人をやっている人です。奥田さんはホームレスの人のところに行っては「お弁当いる?」とか、「住むところあるよ」とか「仕事紹介しようか」と話しかける。
でも、始めのうちはほとんど「余計なお世話だ」と断られるんだそうです。次に訪ねてもまた断られる。でも、奥田さんは止めない。これを奥田さんは「助けたろかのインフレ」と言っているんですが、とにかく断られても断られても「助けたろか」と言い続ける。
すると、そのうち向こうが根負けして、ある日「助けて」って言うんだそうです。一度声がけをしたときに「助けなんか要らない」と言われて、「ああ、そうですか」と引き下がったらそこで終わってしまう。でも、奥田さんは止めない。
誰がどのような種類の支援を必要としているのか
奥田さんに伺ったら、助けてほしいと心の中で思っている人でも、「助けて」と口に出すには覚悟が要るんだそうです。ホームレスの人はしばしば自己評価が低すぎて、自分は誰かの支援を受けるに値しないと思っているから。だから、しつこく「助けたろか」とお節介を続けるしかないんだ、と。
奥田さんのされていることはほんとうに立派な仕事だと思います。でも、誰も彼もが奥田さんみたいな生き方をすることはないと思うんです。ホームレスの人を自分の家に連れてきて、ご飯を食べさせてあげて、一緒に暮らすというようなことを奥田さんはやってきたわけですけれど、ふつうの人はそんなことはできませんよ。
だから、全員がそうである必要はない。でも、最後のセーフティネットとして、奥田さんみたいな人が一定数いることは絶対に必要なんです。
奥田さんの仕事が成功しているのは、奥田さんに「人を見る目」があるからだと思います。誰がどのような種類の支援を必要としているのかを見きわめることができる。そのためには、人間の器というか、成熟度というか、そういうものが必要なんです。そういう方がする支援は適切なお節介であり得る。
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