「ジミー・ペイジ」になりきり続けた彼の凄い半生 本人とも対面が実現!ジミー桜井の生き方

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――ジミーさんのプレイスタイルはコピーの範疇を超え、自ら"リバイバル"(再現・再生・蘇生)を提唱するほどです。

ジミー・ペイジさん本人にそれを見ていただいたうえで、とにかく感激したとおっしゃっていただいたんで。それは大きな自信になりました。

もちろんアメリカにだって、本物以外は認めないみたいな人もいるんです。でもジミー・ペイジさんに認めていただいたということで、そうした人たちの見方を変えてもらったというのは大きかったですね。

まだジミー・ペイジをやっているの?と言われた

――著書を拝見すると、80年代に入ってミュージックシーンの潮流が変わってしまい、周囲から「まだジミー・ペイジをやっているのか」と言われたことがあった、とありました。やはりそうした周囲のプレッシャーや、お金のことなどが原因で夢を諦めてしまう人も多いと思いますが、ジミーさんを引き留めたのは何が理由だったのでしょうか?

僕自身、80年代には好きなツェッペリンの曲をやってもお客さんが入らなくなってきて、地元の新潟の友達とオリジナル曲を書いてプレイする、という時期もありました。それが割と人気があったんで、活動を続けられたということもあったんですが、それでもやはりいちばん楽しいことはツェッペリンだった。

オリジナル曲を書こうとして、曲のアイデアを探っていこうとしても、結局、ツェッペリンのような曲のフレーズが出てきてしまう。それって何なんだろう? これをオリジナルと言っていいのかなと思うことがあって。結局ツェッペリンのカッコいいところをつないでいるだけだしなと。

――もちろんツェッペリンの影響を公言するミュージシャンは多いですし、それこそツェッペリンのフォロワーと呼ばれるバンドも多数いたと思います。

もちろん世の中にはそういう曲がたくさんあるわけですし、それはそれでいいと思うんです。

でもどうしてもそこを乗り越えられなかったのは、僕自身が結局そういう疑問を持ちながら続けることよりも、コピーと言われようが、直球でダイレクトにツェッペリンを弾くことが何よりも楽しかったから。そしてそれは今でも変わらないということです。

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