「ジミー・ペイジ」になりきり続けた彼の凄い半生 本人とも対面が実現!ジミー桜井の生き方

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そんなジミー桜井の数奇な半生に密着したドキュメンタリー映画『MR.JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男』が1月10日より新宿シネマカリテほかにて、全国順次公開されている。同作はジミー・ペイジ公認、全30曲にもおよぶレッド・ツェッペリンの楽曲の使用が正式に許諾されている。

そんな彼の活動を大きく支えたのはサラリーマン経験だったとジミー桜井は語る。そこで今回は本作の主人公であるジミー桜井に、ジミー・ペイジになりきることへの考え、自分の信じた道を貫き通すことへの思いを聞いた。

――このドキュメンタリー映画の監督であるピーター・マイケル・ダウドさんがジミーさんに密着することになったきっかけは?

僕がレッド・ツェッパゲインというトリビュートバンドに呼んでもらって渡米したのが2014年。それから1年くらいたったときに、日本での活動を映したYouTubeをピーターが見てくれて。興味があるということでコンタクトをとってきた。ただ彼は僕が日本にいると思っていたんですが、そのときはすでに渡米していてLAにいたので。それですぐに会うことができたというわけです。

バンド活動にはサラリーマン経験が不可欠

――映画では、ジミーさんの活動のいいときだけでなく、つらかった時期にもしっかりと密着していました。

ピーターからすれば、最初はそんなつもりじゃなかったんでしょうね。日本から来た男がなかなかアメリカ人にウケているじゃないかということで、トリビュートバンドをテーマにした映画を撮り始めたんだと思います。

ただそこから次第にバンドのメンバーたちとも意見が合わなくなり、難しい時期を過ごしていくわけですが、そうした時期も彼は淡々と撮り続けた。

それと彼自身、レッド・ツェッペリンの大ファンでもあるんです。カメラが回っていないところで、いろいろと僕を元気づけてもくれました。僕が悩んでるときも、常に隣にいてくれた。だから今は本当に仲のいい友達になりました。

レッド・ツェッペリン ジミー桜井
ジミー桜井 /1994年にレッド・ツェッペリンのトリビュートバンド"MR.JIMMY"を結成。2012年にはジミー・ペイジ本人がライブに来場、大喝采を得る。2014年にアメリカのトリビュートバンド"LED ZEPAGAIN"に正式加入。2017年に同バンド脱退後、US版MR. JIMMYを立ち上げ、同年秋からはジェイソン・ボーナム率いる"Jason Bonham’s Led Zeppelin Evening"にも参加。世界的なジミー・ペイジ求道者としてワールドワイドに活動を続けている©One Two Three Films

――もともとジミーさんは楽器メーカーなどでサラリーマンをされていたそうですが、バンド活動を続けていくうえで、サラリーマン経験が役立ったことはありますでしょうか?

それがなかったら無理でした。僕の場合は、まず本物の楽器から音づくりのヒントを得ることが大事なプロセスでした。(ジミー・ペイジの愛器として名高い)59年製レスポールはいつでもどこでも旅に持っていけるものではないので、現行で手に入るものの中から厳選されたいいものを持たなきゃいけない。

ですが、その中でも本物との違いがわからなければ、本物に近づけることはできない。やはり楽器を買うのにも、衣装を用意するのにも、ピックアップのコイルを巻き直したり、アンプをモディファイするのにもお金が必要となる。それはサラリーマンとしての生活があったからこそできたことだと思います。

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