「ジミー・ペイジ」になりきり続けた彼の凄い半生 本人とも対面が実現!ジミー桜井の生き方
――そうして背中を押してもらったわけですね。
僕は楽器の輸入代理店にいたんですけど、音楽業界のみならず仕事のやり方がデジタル化していく中で、従来の楽器営業の形態から変わっていったということもあります。
それまではいろんな店舗に直接行って、製品の音を聞いてもらい、その音を理解してもらう。それが大切だと思っていたんですが、それが少しずつ変わってきていたんです。
経費を使って地方に行って楽器を紹介する、というその情熱がだんだん伝わらなくなるようになっていた。自分の居場所を見失いつつあったということもあります。
国内でのバンド活動に対しての閉塞感もどこかにありました。やはりどうしても自分がやっていることが趣味でやっているコピーバンドのように扱われてしまうんですね。はじめてお会いする方にも、「バンドをやっているんですか! いいですね。僕も学生時代にツェッペリンを弾いてましたよ」なんて言われることもあって。
でもそれは日本での一般的なイメージだと思うんです。だからこそ、そこに突き破れない壁みたいなものを感じていました。
ジミー・ペイジにも会えた
――日本とアメリカの環境の違いのようなものもあるのでしょうか?
やはりアメリカに行くと全然違うわけです。それこそLAなどにはライブハウスが立ち並ぶストリートがあって。トリビュートバンドがいちばんお客さん入るくらいに盛り上がっている。トリビュートバンド専門に扱うエージェントがあるくらいなので。
もちろん日本にもそういうムーブメントがないわけではないですが、欧米のようなエンターテイメントのジャンルとして成熟はしていない。トリビュートバンドに対しての理解も、アメリカのミュージシャンのほうが音楽という共通項があれば、分け隔てなく接してくれる人がより多いという印象がありますね。
――ただ最終的に一歩を踏み出すにあたって、そうした環境的な要因だけでなく、ジミーさんの内面的にも背中を押すものもあったのでは?
やはり呼んでもらうということは、それだけ評価をいただいてるということなので。それはひとつの自信でした。その自信がなければ行けなかったでしょうね。
それとジミー・ペイジさんに会えたというのが大きかった。彼に直接パフォーマンスを見てもらって。このままやっていいですかと聞いたら、もちろんだと。
中にはそういうのを嫌う方もいらっしゃるので、僕もそこは気になっていた。音だけでなく衣裳や髪型、動きまで含めた再現ということまでやっているわけですから。
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