「正反対な日本人女性」と結婚した男の幸せな瞬間 2人をパートナーにしていった2つの物語

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これからお話しする2つの出来事は、僕たちがどのようにして他人からパートナーになっていったかを物語っています。両方とも僕たちが共に歩む道を決定づけた出来事であり、正反対である僕たちの距離を縮めた出来事でもあります。

2013年、僕は日本の大手英字紙で初めて記事を書く機会を得ました。僕はカタカナの落とし穴と、カタカナが英語を正しく発音する上での妨げになっていることについて執筆しようと思ったのです。

当時、僕は英語教師として、カタカナへの依存がいかに誤解を招くかを目の当たりにしていました。システムを非難するのではなく、英語の習得に不可欠なものが、どのようにハードルにもなりうるかを探ることが目的でした。編集者は僕にゴーサインを出しました。これは一石を投じるチャンスでした。

パートナーから予想外の反応が

ミキにその話をしたとき、彼女は心配そうな表情を浮かべました。「それ、本当に大丈夫?」と問いかけ、僕が見逃していた地雷をすでに見つけたかのようでした。「きっと誰かが怒るに違いないよ!」

彼女が心配するのも当然でした。英字新聞で日本の教育制度を批判する外国人がいれば、間違いなく怒る人が出てきます。過去にSNSで書いた内容が一部の読者を怒らせたこともあったので、そのリスクは十分承知していました。それでも、問題を遠回しにせず真正面から書いた記事は、僕が最も誇りに思っているものでした。

ただ、今回は違いました。今度は全国紙です。『ジャパン・タイムス』紙に書くということは、マイナーリーグからメジャーリーグに昇格するようなものでした。自分の文章が全国的な注目を浴びることになるのです。そして、読者が増えれば増えるほど、責任も重くなり、批判の刃も鋭くなるものです。

大学時代の作文の先生が、よくこう言っていました。「大胆になりなさい。そうすれば、偉大な力が助けに来てくれる」と。僕は文章を書くとき、いつもその言葉を思い出します。だからミキにこう言いました。「文章を書くのは、臆病な人には向いていないよ。書き手は自分の声を届けることを恐れちゃいけないんだ」。

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