「総理在職日数ベスト10」で振り返る"昭和100年" 3位は吉田茂、2位は佐藤栄作で…1位は?

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ただそれは、彼の責任とばかりとは言えない。

長きにわたり党を仕切ってきた二階幹事長を引きずり降ろし、前任の菅総理に引導を渡し、高市早苗、野田聖子、河野太郞を圧して総理の座に就いたところまではよかったが、「経済、経済、経済」とスローガンを3度復唱したわりには、具体的にこれといった目玉になる政策を打ち出せなかった。

デフレからの完全脱却を目指す「骨太の方針」も、「新しい資本主義のグランドデザイン」も、長期政権を前提とする絵に描いた餅に終わった。

▶7位 岸信介〔1241日〕

岸信介は、農商務省の官僚から、戦時期に東条英機内閣の商工大臣を務め、東京裁判では、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監された。満州国のグランドデザインを描いたことを、自他ともに認めている。

安保闘争デモが本当に要求したことは?

昭和35(1960)年、戦後日本最大の政治テーマ「日米安全保障条約改定」を強行採決後、引責辞任した。

当時、国会議事堂を取り巻いた全学連をはじめとするデモ隊の多くは、改定された条文そのものをほとんど読んでいなかったと言われる。

つまり、60安保闘争の焦点は、元A級戦犯・岸信介内閣に対する倒閣運動だったのだ。

これは、当時の全学連の幹部・西部邁(後の東大教授で保守派の論客)の証言によっても確かめられる。事実、安保条約自動延長の後、自民党は長期安定政権の道を歩むことになる。

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