今年、2025年は「昭和100年」の年である。これを機に、『赤とんぼ』からユーミン、シティ・ポップに至る「歌の昭和史」を振り返ってみる。
昭和の歌謡は、まずラジオ(今年は放送100年)とともにあった。
戦後はテレビの時代に移行し、多数のスターやアイドルを輩出。またレコードからCDへという時代の変化もあり、ヒット曲を生み出す社会環境も激変した。だが、「歌は世につれ世は歌につれ」、時代と人間が新たな歌を生み出す本質に変わりはない。
まずは戦前のヒット曲から見ていこう。
*この記事の中編:日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(中編)
*この記事の後編:日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(後編)
童謡『赤とんぼ』は昭和2年のヒット曲
昭和戦前の歌謡史を飾る最初の楽曲は『赤とんぼ』(作詞:三木露風・作曲:山田耕筰)だろう。
昭和2(1927)年に国民的なヒットとなり、平成19(2007)年に「日本の歌百選」に選ばれている。歌謡曲の普及以前に、誰しも口ずさめる歌はこれしかなかったのだ。
作詞の三木露風は、北原白秋とともに「白露」時代を築いた近代詩人。
出身は、そうめんの「揖保乃糸」で有名な兵庫県揖西郡(現在のたつの市)で、15歳で嫁に行った「姐や」(女中)に背負われて見た、幼少期の幻想的風景が歌われている。岩波文庫が発刊され、「ボンヤリした不安」という言葉を残して、芥川龍之介が自殺した年の歌だ。
翌昭和3(1928)年には、二村定一の『君恋し』が大ヒットしている。
同年、昭和天皇が京都御所で即位礼、名実ともに昭和がスタートする。浅草レビューが登場する一方、ダンスホール取締令が発令されるなど、大衆芸能にプレッシャーもかかってきた世相を偲ばせる切ない恋歌だった。
この曲は戦後の1961(昭和36)年、フランク永井がカバーしてリバイバル・ヒット、同年の日本レコード大賞グランプリに輝いた。
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